ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6027,死の恐怖は観念でしかない
明るく死ぬために 〜3、
* 死ぬということは
「余命数ヶ月」と告げられた作家が、病院の帰路、都内の駅前の喫茶店から、
雑踏を眺めて、「自分が死んでも、彼らは、そのまま、生き続ける!」と氷つく
孤独感そのままを書いていたのを憶えている。哲学者は、これを観念のなせる
虚構とという。死ぬのを恐れるのは、愛する家族との永遠の別離。プッツンの
瞬時、「私」なるのが消えるため、「自分が死ぬ」という言葉が成り立たない
のは自明のこと。一人称の自分が死ぬわけがない。雑踏の通行人が、そのまま、
生き続けることも当人の思い込み… 中島の、<私が住んでいる世界、私が
見ている世界は「このようにある」のではない。 客観的世界のあり方と、
「私がある」というあり方は全く異なる>の言葉に、「独り死にいく恐怖は、
長年かけて作られた観念でしかない」と…。とすると、寂寞の観念そのものが、
自分を孤独地獄に落しこんでいることになる。「明るく死ぬためには、いずれ
死ぬ? そして永遠の彼方に消し去られる「私」と、「他者」の問題を直視し、
問答を続けなければならない。 「存在」と「認識」そして「死」の命題が、
年々、面白く、かつ切実になってきたのは、背後から正面に周ったため?
【 〜2004/10/02
1278, 人生(時間)のセイムスケール−2 より〜
★「線路を走る列車のように、人生は見えないレールの上を走っていく。
そして、終着駅が近いと知ったとき、〈別の人生もありえたのでは〉
と夢を見る。しかし、列車を乗り換えることはできない」
(田中 誠)
★「我が命は地球より重い。他人の命は犬より軽い」
(山田風太郎)
★「人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている」
(正宗白鳥)
★「みんないう。いつか死ぬことはわかっている。
しかし、「今」死にたくないのだ」 (山田風太郎)
★「幸福な人々の死だけ悼もう。つまりごく少数の人々だけを」
(フロベール)
★「---いろいろあったが、死んでみりゃ、なんてこった、
はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆」
(山田風太郎)
★「雪はげし書き遺すこと何ぞ多き」
(橋本多佳子)
★「死が生にいう。
〈おれはお前がわかっている。しかし、お前にはおれがわかっていない〉」
(山田風太郎)
★「昔の死は、人が、死にゆく人物を演技する喜劇的な悲劇であった。
今日の死は、人が自分の死ぬのを知らない人物を演技する悲劇的な喜劇」
(フィリップ・アリエス) 】
―
▼ 『("^ω^)・・・ 御あとがよろしいようで、はい、さようなら!』
(こう言い残し、七転八倒をして死んで逝きたいが、私のは「畜生め」入り?)
・・・・・・
5661,『エゴの力』B 〜総論・B
2016年09月14日(水)
『エゴの力』石原 慎太郎 (著)
ネット上の解りやすい概略を検索すると、アマゾンの投稿に、最適なのが
あった。エゴを、「人間の感性の発露以外の何ものでもない」「己の好きなこと
を通じてエゴを磨くこと」と著者はいう。それらから考えると、私の秘・異郷を
中心とした旅行で磨いた感性は、確かに人生を変えた。回数を重ねるほど、
『エゴの力』が増したことになる。好きなことを継続するほど『エゴ』が強く
なる。それが個性である。
=アマゾンの投稿=
≪ 本書で、「人間の強さとは何かといえば、その人間の備えた個性の力」
(100p)というテーマを中心に、エゴについて語っている。石原さんほど
老成しているわけではないが、私も50歳を過ぎ、このテーマには賛同する。
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09月14日(木)
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