ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5948,閑話小題 モンテッソーリ教育 −1
   * モンテッソーリ教育とは
 天才将棋少年の藤井君の秘密の一つが、幼児期の「モンテッソーリ教育」
にあったという。そこで調べてみると、知的障害児の感覚教育で知的水準を
上げる効果から、貧困層の健常児への独特の教育に発展し、この教育法が欧米
社会に広がったという。要するに天才教育である。家内には私の持ってない、
異様な能力がある。聞くところによると、直ぐ上の兄が、生まれて間もなく
死んでしまったため、両親が、我がまま放題に育てた。それが、習い事にも
現れて、バレー、小唄、習字など、次々と本人の気分に従って、1〜2年で、
変わっていった。その辺に、変な能力? 異常な位の好奇心の元にあるのでは
と、思ってきたが、それを当人が、自分で、してきたことになる。ただし、
『受験勉強で、そのエネルギーの全てを使い果たして、この有様!』と宣う。
知的好奇心と、マスコミに取り上げられる流行に対する直感は、異様に強い。
この教育法を読むにつれて、武澤ゼミの基本が、ここにあったと、気づくこと
になる。知識にしろ、経験にしろ、私たちは小さな世界に閉じ込めれれている。
まず、その認識をして、外にも内にも、その壁を壊さなければならない。
 その前に、その壁に入らない教育法が、これである。
  〜ネット検索によると〜
≪ 20世紀初頭にマリア・モンテッソーリによって考案された教育法。
 イタリアのローマで医師として精神病院で働いていたモンテッソーリは知的
障害児へ感覚教育法を施し知的水準を上げるという効果を見せ、1907年に設立
した貧困層の健常児を対象とした保育施設「子どもの家」において、その独特な
教育法を完成させた。以後、モンテッソーリ教育を実施する施設は「子どもの家」
と呼ばれるようになる。
 1907年、ローマに最初に誕生した「子供の家(Casa dei bambini)」は、
瞬く間に欧米を中心に世界各国に広がった。特にアメリカ合衆国では2度に
わたってモンテッソーリ・ブームが起こり、アメリカ全土にその教育法が普及。
現在、アメリカの私立をはじめ数百の公立学校でもプログラムが導入され、
3000ヶ所のモンテッソーリ・子供の家があるといわれる。日本には1960年代に
紹介され、モンテッソーリ・プログラムを導入する幼稚園やモンテッソーリ
教育を専門に行う「子供の家」が創設された。
 ☆ 自発性と「敏感期」
常に子供を観察し、そこから学ぶ姿勢を貫いたモンテッソーリは、感覚教育と
同様に重要と説いたのは、子供の中の自発性を重んじることである。どの子供
にもある知的好奇心は、何よりその自発性が尊重されるべきで、周囲の大人は
この知的好奇心が自発的に現われるよう、子供に「自由な環境」を提供すること
を重要視した。また、子供を観察するうち月齢、年齢ごとに子供たちの興味の
対象がつぎつぎ移り変わる点に着目し、脳生理学に基づき、さまざまな能力の
獲得には、それぞれ最適な時期があると結論付け、これを「敏感期」と名づけた。
モンテッソーリ教育の特徴の‘一面とされる一斉教育を行わない教育形態’は、
この子供たちの「自由の保証と「敏感期」を育むモンテッソーリ理論の視点に
立つものである。 モンテッソーリは、集中して遊んでいた子どもが玩具に夢中
になり、目を輝かせていた幼児を見て、挫折しかけた研究の道を再度探求する
こととなった。敏感期の子どもに触発され、モンテッソーリ教育が構築されて
いったのである。 … 次回につづく ≫ 

▼ 家内の両親が、本人を大事にするあまり自由気ままに育てた結果が、
 この自発性。それが、「敏感期」に本能の向くまま、習い事を替えさせて
いったようだ。これが良かったのである。 何度か、家内に言ってきたのは、
『10歳辺りまで、多くの習い事させてもらったのが、何よりの財産。両親に
感謝しなさいよ!』と。何を言っているのか理解できないのが、本人の限界。 
一生を幼女そのままの好奇心を持ち続け、亭主を盾に、続けるのでから、
たまったものではない。が、秘異郷を主とした海外ツアーに50回以上も行けた

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06月28日(水)
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