ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[382941hit]
■5853,物語で経験する「生老病死」 −3
<老いの風景 ー物語で経験する「生老病死」〜石光勝・著>
* 寂聴と今東光
若き日の官能作家「瀬戸内晴美」を見知っていたが、今では尼僧の身。
一言一言が、常人では理解できないような人生を味わい尽くしたが故の
圧倒的なエネルギーが満ち溢れている。着の身着のまま家出をしたくだりと、
本人と思われる「そういう一日」の、この圧倒的場面が強く印象に残っている。
〜その部分から
≪ タイトルの『風景』とは?自身のことを書いた3作「デスマスク」「絆」
「そういう一日」を景色として眺めたことによるのか? 全7篇。
なかでも、「そういう一日」に描かれている出家に到る様は、ある種の
凄まじさがある。 その凄まじさは・・・
【 <出家させて頂きたいのです>
「御家族はどう言われている」
<家族はございません。両親はとうに死亡しています。姉が一人、父の残した
家業を守っていますが、電話で出家すると告げましたら、あら、いい年貢の
納め時ねと申しました>
「そのお姉さんが、得度式で一番泣かれるよ。
肉親というのは泣くものだ。 髪は?」
<剃ります>
「無理に剃らなくてもいいんだよ」
<私はだらしない駄目人間ですから、型からも、
きちんと入らないとつづかないと思います>
「下半身は?」
<断ちます>
「ふむ。仕事は?」
<続けたいと思っています。でも出家したら書かせて
くれない場合も予想しています>
「その時は?」
<ひとりで書きおきます>
「わかった。あなたは尼僧になる前に、れっきとした小説家だったことを
忘れてはならない。死んでもペンを放さないように。坊主とつきあうことも
ない。寺をもつこともない。書くために出家をするのだから」 】
この会話の二人、真偽は別にして今東光と寂聴である。≫
―
▼ 奔放すき放題に生きれば、娑婆には思い残すこともないはず。
宇野千代と対談で、この日のことを具体的に話している。女傑同士の話は…
世には魔性の女がいるそうな? リアルな、純粋一途で、床上手な、しかし
恐ろしいのが巷を徘徊しているそうな。水商売より、普通風の人に多いという。
人生という森林には、様ざま広くて深い闇と、ドブと蓮の花が紛れ込んでいる。
「やはり野に置け、蓮華草」 摘んで持ち帰るより、眺めるが良し? ったく!
・・・・・・
5488、閑話小題 〜人間の尊厳とは
2016年03月25日(金)
*「人生の意味」の、コペルニクス的転回
〜主語を入れ替えるか、逆照射をするか
カントは、認識について、「対象が意識を規定するのではなく、
意識が対象を規定する」と、「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に
従う」と、コペルニクス的転換を示した。 かってテーマとして取上げたが、
フランクルは、アウシュビッツで、『私が人生の意味を問う』のではなくて、
『私自身が人生から問われたものとして体験される』と、転換してみせた。
この逆照射の視点から、人間の尊厳の問題が提示される。
『生きるとは、人間としての尊厳を大事にすること』と。
・『幸福とは、上手くいったからなるのではなく、幸福だから上手くいく』
という、幸福論がある。学生時代に、ある2つのグループに属したことが
あったが、上記の通りである。彼らは、明るく、物事に動じず、教養があり、
気楽で、積極果敢の要素を多く持っていた。
〜フランクの哲学をネット検索〜
≪ 「 私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていないのだ。」
そう言って生きることをやめようとした囚人に、フランクルは説く。
「他人によって取り替えることができないこと、かけがえのないあなたを
待っている仕事、待っている愛する人がいる。人生はあなたからあるものを
期待している」と。 フランクルたち囚人は、そのすざましい生活において、
生きるための「なぜ」を常に問わなければならなかった。そして、生活目的
を意識する。 目的が無くなったととたん存在の意味も消えてしまいます。
[5]続きを読む
03月25日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る