ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5836,閑話小題 〜エキサイティング・ジム
   * エキサイティング・ジム
 ジムに通いだして6年、平日の昼会員の枠一杯の月20日も通っているので、
日割りにすると300円の価値は充分にある。インストラクターの指導のもと、
12人のメンバーが交互に置かれたマシーンとステップ台を25分かけて二周
するイージーラインを毎回のベース。それに週4回のヨガエアロと、ベルト式
マッサージと、ランニングマシーンの組合せで、大よそ2時間半が平均滞在
時間が日課になる。健康的な明るさと、多くが他者に我関せずのところが良い。

 ところで昨日のモーニングショーで、最近の変り種のジムを紹介していた。
・サンドバックが数十台並んだスタジオで、インストラクターの大きな掛声で、
 グローブで殴りつけるのを主にしたジム。
・取っ手の付いたトランポリンが数十台、その上を合同で跳んだり跳ねたり
 する エクササイズ。
・クラブとエアロを融合したようなジムで、暗闇に光るミラーボールの下、
 踊るエクササイズ。
どもれもこれもスポーツジムのイメージを超えた内容だが、全身運動で、
トリップする仕組み。よく考えたものだ。 ハリウッド映画で、酒や薬物を
飲んで高級クラブでエキサイトをして踊りまくるエキスをエアロに取り入れ、
集団でトリップさせるとは。 メガネ型動画プレイヤーのアプリで、その場面
をつくればよい。独り部屋の中での踊り? 考えただけで気持ちが悪いが、
当人にとっては大して変わりはしない? いや、違うか。
 地元のエアロも、競争が激化しているようで、その対策として、様々な
エアロビックスを用意してあり、内容が日々、進化している。私は参加して
ないが、80人が参加する人気エアロもあるようだ。これを続けているといない
とでは、大きく違ってくると実感する。加老とは、毒素が沈殿が底知れずに
増すこと。運動を如何に遊びに昇華して楽しめるかが、ポイントか。

・・・・・・
5471,こう生きて、こう死にたい ー2
2016年03月08日(火)
             「こう生きて、こう死にたい 」津本 陽 (著) 
   * 死生観の構図
私たちの死生観は、青少年期、成年期、壮年期、老年期によって受止め方が
違ってくる。当然、死が差迫った老年期は、一言一言が実感として受止める
ことになる。常に死と向合った戦国の武将や、剣豪の言葉は、真に迫ってくる。 
 津本陽の小説の中の侍の死生観が、この年齢になってこそ理解でき、心を
和らげてくれる。死があっての人生である。
―――
・「生ずるものはかならず滅する。かように変化をくりかえすのは、
業あるゆえじや。善因善果、悪因悪果と申して業はそれに従いさまざまの
あらわれかたをいたす。 いつ人が何時に生れてきたか。死ねばいずれへ
参るかは、すべて業にみちびかれてのことで、人には分らぬようになっておる。
生死は始めなく終りなき宇宙界より見れば、またたきいたすほどにもなきこと
じゃ。どれほど長命いたせしとて、めでたくも何ともない」
                  〜『大悲の海に 覚鑁上入伝』

・「生物はみな、いつかは死ぬ。死んで十万億土を旅して、お浄土へゆく」
                  〜『雑賀六字の城』

・死ねば、すべてはおしまいだ。この世の不安も不自由も、とろで俺は、
死を怖れているのだろうか、と酔った頭で考え,は、死をこわがっては
いない自分をたしかめる。      〜『剣のいのち』

・ 殺生は武士のならいじゃ。儂もいずれは死ぬ。迷わず成仏いたせ。
                  〜『名臣伝』

・ 世俗の雑事から遠ざかりたい。兵法日下開山の栄誉を求めて、何の価値
があるのか。人はみな死して一団の灰となるのみではないか。生きて殺生を
重ねるのも、自ら命を絶って山野に朽ちはてるのも、太虚のうちにうごめく
微細な人間がえがく一瞬の幻影にすぎないという考えが、武蔵を深い虚無
の奈落へひきこんでゆく。      〜『宮本武蔵』

・ 老修験者は惣角に教えた。

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03月08日(水)
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