ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5802,なぜ日本人は世間と寝たがるのか ―読書日記 1
<なぜ日本人は世間と寝たがるのか: 空気を読む家族
佐藤 直樹 (著) >
* 世間とは何か?
私の好きな?「世間学」の本。 しかし何故か私は世間が大嫌い。
「私」という個人に目覚めた為である。逆に、世間には、「私」という個人に
目覚めてない人が、殆ど。 何処かしこにも存在する、18歳までに擦り込まれた
常識に縛られていることすら気づかず一生を終える人たち。 日本人には欧米の
‘社会’が根付かなかったという。
ホンネが「世間」、タテマエが「社会」の二重構造が日本社会の特徴。小さな
島国では致し方がない。「世間」=「自分(の周囲)」、「社会」=「他人」
の切口がある。それもこれも、脳内の妄想のなせる業でしかないが。それでも
情報化の進展で、その圧力は減っても、まだまだ根が深く、こびり付いている。
いま流行りの「おもてなし」も、世間が織りなす特徴。
〜まずは、内容(Amazon)より〜
≪ なぜ、妻を「ママ」とよぶのか。母子心中は、どうしてなくならないのか。
事件の加害者家族がメディアで謝る理由は。 よく考えたら奇妙なことが、
あふれている。“「私」なき国”の家族のありようを徹底解剖。
「世間学」で読み解く日本の実像。≫
〜あるレビューより〜 <解りやすく要約してある>
《 著者は、日本は、西欧に倣って近代化せざるを得なかった、どの「発展
途上国」の中でも、人間の尊厳と一体の「個人」の輸入に失敗した唯一の国。
そのため底部に「世間」(ホンネ)という人間関係が存在し、その上に社会
(タテマエ)という人的関係が存在する2重構造になっている。
日本の家族は、「世間」の侵食に対して、個人が存在しない為に「愛情原理」
をもって社会に対抗・対立できる西欧の近代家族と異なり対抗できない。
98年、アーカンソーの学校乱射事件では、メディアによる犯人少年の実名
報道に対して、実名を知った人々から、その家族には手紙が殺到したのだが、
その内容のほとんどが、犯人少年の家族を激励する内容であった。
戦前の天皇制ファシズム体制の中では、国という「公」に対して、「私」
としての国民が滅私奉公を強いられた。戦後、国に取って代わったのは企業や
会社であり、世間もそれに準じるので、「公」である企業に対して「私」で
あるその構成員が滅私奉公を強いられている。「家族思いの良い夫」=
「公としての家族に滅私奉公してくれた良い夫」と。
80年代以降の高度資本主義=高度消費社会の成立の中で、家族や学校を巻き
込む形で外部の経済原理=市場原理が席巻する。それによって「愛情原理」を
もつ家族が「解体」され、子どもも商品経済に巻き込まれる。
お金さえ持っていれば市場経済は大人と子どもを区別しないので、子どもは
小さな大人」となる。この風景は、どことなく欧州の「中世」に似ている。
こうして日本では近代家族が成立しないまま、個人を単位とする社会が進む。
こうした状況を背景として、96年には選択的夫婦別姓法を盛り込んだ民法
改正案が国会に提出される。
フランスでは、婚外子出生率の上昇などで60年代以降、その問題は表面化し、
99年のPACS法の成立で、事実婚をしているカップルに法律上、結婚している
カップルと同じ保護を与えた。フランスの52%、スウェーデンの55%と比べて
日本の婚外子は2%、と依然として低い。 これは「できちゃった婚」のように
世間体を考えて、子どもができたら結婚しなけばならないと、「いえ」が完全に
内面化されているから。 夫姓も96%あり、妻が夫の「いえ」に入るという
「世間」における「身分制」が貫徹していると考えるしかない。
結婚後の姓についての考え方は、83年の47%から10年ないし15年間は03年に
29%と伝統的な意見が減少したが、最近の5年間では4%増え、98年と同じ数字に
なり、世の中全体が保守化している。
日本の夫婦間では、互いにその名を呼ぶことは稀で、子どものいる場合、
互いに「お父さん」「お母さん」と読んで、何の違和感も感じない。
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02月02日(木)
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