ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5739,なぜ本を読むといいか? 〜4
        <本を読む人だけが手にするもの>藤原和博著
   * 本を読むだけで何が得になるか
 著者は“人生の糧を得る手段として読書をする必要があり、
教養を磨く必要がある”と『読書』に特化して論じている。読書は
損得より人生の根幹に関る問題だが、解りやすく言っているのだろう。
 体操の金メダリストの内村選手がインタビューで、
『私の脳に小さな自分がいて、競技の最中に支持を出している』
といっていた。練習の積み重ねで、「小さな自己」が、育っていて、
次の動作の指示をするという。私の小さな自己は、夜半の数時間の半睡の
瞑想状態と、起床直後のこの文章の完成とネットアップと、ミニ・チャリと、
午前2〜3時間の読書が、小さな自己を育てると思うと成る程!である。
武澤ゼミで一年間、週に1〜2度、様々な会社内トラブルの本質を討論し、
最後に、その解答が示される。それが、思いもよらない切口のもの。
太陽が黄色に見えるぐらい、絞られた上のため、ショックは大きい。
しかし、回数を重ねるうちに、正解に近い判断が出来るようになる。
そこに違った知性が別人格がいて、冷静にゼミ員を見つめているような。
 それが現実に教授でもある。現実社会に出て、会社は急速配転をして
人材を育成しようとする。当然、ノンキャリアとのトラブルが派生する。
その時々、ゼミで育成された「冷静な視線」が、自分と、周囲を見ている。
その冷静な自己が、「内なる小さな自己」に被さってくる。私にとっての
これが、歪んだ私を冷ややかに見下しているそのままが、このブログを
通し透けて見えている。見下しているのは、本人だけならまだ良いが、
世間にも向かうため、溝が深くなる?  要するにバカ!
  〜その辺りから〜
≪・幸福という定義を自分で決め、現在の自分がどの地点にいて、
 どちらの方角を目指し、どこまで達成すればいいのかということまで、
すべて自分で決めていかねばならない。人生は誰も助けてはくれない。
成熟社会は、個人がバラバラになっていくことと同義である。
それにともなって、地域コミュニティの影響力も後退していく。
日本にはもともと地域社会というコミュニティがあったが、産業化に
よって破壊されていった。その代わりの役目を果たしたのが、企業と
いうコミュニティだ。しかし、成熟社会では、それさえもアメリカ流の
グローバリズムによって分断されていく。
・じつはヨーロッパを中心に成熟社会を迎えた先輩諸国がやったのは、
国家として宗教を発動し、バラバラになっていく個人を再び紡ぐことだった。
日本のように企業がその役割を担うのではなく、宗教界が教会というネット
ワークで紡いでいったのだ。ややこしいのは、日本は太平洋戦争の影響で、
このように、国家が宗教を発動できなくなったことだ。宗教の未整備に
よって、とくに若い人たちが浮遊している。
・では、宗教の代わりに彼らをつなぎとめているのは何か。
 それが日本の若者が異常にのめり込んでいる携帯メール。
突出してメール文化が盛んになったのは、宗教の代替機能として、
つながったような気になるという側面が大きかったと私はみている。
宗教が機能している社会では、宗教が物語をつくり、幸福とは何かを教える。
でも、日本のように宗教が機能不全の国家では、自分で自分の宗教、あるいは、
その代替物としての幸福論を持たなければならない。だが、携帯メールは
その場限りのつながりを与えてくれるだけで、幸福論の代わりにはならない。
だれかに託したり、自らを捨てて帰依することができる人はそれでいいと思う。
しかし、そうではない普通の人は自分で本を読み、自分で世界観を構築しな
ければ幸福論は築けない。≫  〜序章より〜
――
▼ 明治以前、それまで国内の農民を束ねていたのが寺院。
 それを明治政府の樹立のため、国家そのものを信仰対象にした。
それが第二次大戦で崩壊したため、新たな機能が働いてなかった。
その一部を上京してきた地方出身を狙いを定めたのが創価学会。何の頼る

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12月01日(木)
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