ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5690,自分のための人生 〜B
『自分のための人生』(ウエイン・W・ダイアー)
★ 自分を愛せない「不幸」 〜2章より
何処の世界にもいるのが、「不平家」。不平家は、不平家ゆえに不幸に
なっている事実に気づかない。それが、自分に向いているうちは、まだ害が
ないが、周囲の人たちに向くと‘うわさ、陰口になる。曽野綾子のいう、
「泥棒並みの犯罪」を犯していることに気づかない。この内容も、その類の
人種に対する悪口になるから、同類でしかないか。まず、自分を愛せない。
その元を辿ると、両親の不和がある。それが、子供の心を閉ざしてしまう。
逆にシャワーのように両親から愛された子供は、生涯にわたり幸福である。
自分を愛するには、夢・志を持って、温めること。そして、内語をプラスの
言葉を習慣として持つこと。不平の一つに愚痴がある。これは、自ら注意を
払ってないと、内語で繰返すことになる。 〜その辺りから〜
≪ まず“幸福を得たいと思うのなら自分を愛することを学ばなければならない”
自分を愛すること、つまり「自己愛」とは、自分を価値ある人間として受け
入れること。 受け入れるということは、不満がないということです。
“不平は自分に自信のない人の慰め。自分で自分の嫌いな部分について他人に
話したところで、聞かされたほうにしてみれば、たいていはお手上げだ。
せいぜい「そんなことはないでしょう」と否定してあげるのが関の山。
ところが否定してもらってもこちらは信用しない。それで不満な状態が
ずっと続くことになる。このように、他人にグチを言っても何にもならない。
それと同様に、グチを言いに来る人にグチを言わせておいても仕方がない。
一つ単純な質問をしてやると、たいがい、この無益で不愉快な態度は消える。
「なぜ私にそんな話をするのですか」とか、
「何か、私でお役に立てるようなことがありますか」と尋ねるのだ。
同じ質問を自分自身に対してしてみると、不平を言うのは最低の愚行だと
いうことがわかってくる。それは時間のムダ遣いである。そんな暇があるならば、
心の中で自分をほめてやるとか、誰かに手を貸して人の役に立つとかするほうが、
よほど自分を大切にすることになる。
「疲れた」「気分がすぐれない」 ―この二つは不平の中ででも最低である。
疲れているなら、それに応じた対処がいくつかあるはずなのに、気の毒にも
グチを聞かされている相手に対して、ひどく失礼なもの言いである。
そうやってグチをこぼしてみたところで疲れが軽くなるわけではない。
「気分がすぐれない」場合でも同じだ。 自分の気持ちを伝えれば、相手に
少しでも力になってもらえそうな場合についてはそうすればよい。今、問題と
しているのは、グチられたところで、ただがまんして聞く以外は何もできない
相手に向かって不平を言うことである。
さらに言えば、本当に自分を愛する気持ちに立ったうえで何らかの苦痛や
不快を感じているなら、誰かに寄りかかって自分の重荷をともに担ってもらう
のではなく、むしろ自分の力で何とかしたいと思うはずである。
自分自身のことで不平を言うのは無益な行為であり、そのおかげで効果的な
生き方ができなくなってしまう。 自分を憐れむだけで、気持ちが凝り固まり、
愛を与えたり受け入れたりする努力ができなくなる。愛情で結ばれたよりよい
関係が生まれる機会も、人間関係が広がる機会も減ってしまう。
不平を言えば人の注意を引くことができるかもしれないが、そうやって
注がれた人の視線という光は、自分自身の幸福の上にくっきりと黒い影を
落とすものなのである。≫
———
▼ 不快な不平家は、10人に1人は存在する。歳を重ねるにつれ、それが
内幕情報屋に変形し、自らの不平を他者に投影するようになる。その毒で、
お互いを縛ばり、ヘドロ化したのが、ゾンビのような「世間人」という。
自分を愛するには、自分の趣味を持ち、その世界を持続すること。
で、これも文脈として偶然だが、以下につづく。
・・・・・・
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10月13日(木)
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