ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5634,終わった人
* 終わった人、ですか!
<『終わった人』内館牧子(著)>
これは、アマゾンのHPで見つけた本。 リタイアをした身にとって、
『終わった人』は、ドッキとし、身にしみる。 団塊の世代が、この数年で
大量に職場から押し出され、『終わった人』になっている。 まだ終わって
ない、端にいる人ほど一歩先に終わった人に、言い放ちたい言葉でもある。
還暦ならいざ知らず、古希も過ぎれば、何をいわれても馬耳東風。
まだ若いと思っているのは自分だけ。老兵は、ただ黙って去るのみ。
恵まれたサラリーマンほど、節目の切替が難しい。
〜アマゾンの内容説明より〜
≪ 銀行の出世コースから子会社に出向させられ、定年を迎えた田代壮介。
仕事一筋だった彼は途方に暮れる。妻は旅行などに乗り気ではない。
図書館通いや体を鍛えることは、いかにも年寄りじみていて抵抗がある。
職探しをしてみると、立派な職歴が邪魔をしてうまくいかない。
妻や娘は「恋でもしたら」とけしかけるが、気になる女性がいたところで、
思い通りになるものでもない。惑い、あがき続ける田代に安息は訪れるのか?
〜アマゾンのビュアーの声より〜
《 何と云っても、タイトルが秀逸。長い人生、生物的には最期の時まで
「終わり」はないはずだが、「社会的には」確かに終わった人は年々増えて
いるし、殆ど全ての人間は(自分も含め)そうなることを改めて教えられ、
身に沁みた。「散り際千金」「散る桜残る桜も散る桜」(2頁)と考える田代
壮介、49歳で子会社に出向、51歳で転籍、63歳のとき年収1,300万円で退職
(あと二年働けたが、そうすると6割近く下がる)、保有資産は現金で
約1億3,600万円(275〜6頁)の★「卒婚」(358頁)物語。
(しかし、こんなに恵まれたサラリーマンなんて、そうそういないでしょう)
★ 卒婚とは 離婚との違いとしては、夫婦の関係を断ち切るのではなく、結婚
という形を持続しながら、それぞれが自由に自分の人生を楽しむ、という前向き
な選択肢。 必ずしも別居ではなく、同居しながら卒婚というスタイルも有りうる。
〜印象に残った箇所〜
「もし、私が田代さんのお部屋に泊まれば、あとは別れるか、愛人になるか、
結婚するかしかありません。男と女になれば、十年も二十年ももつ関係が、
半年や一年で終わります」 (217頁)
「あんなにきれいな人だもの、今に誰かと結婚してトシは捨てられるわよ」
(239頁)
「恋? お前も情けないものと比べるね。あんなものは十代でも二十代でも、
生きてるついでにするものだよ」 (252頁)
「「先が短いのだから、好きなように生きろ」ということなのだ。嫌いな人
とはメシを食わず、気が向かない場所には行かず、好かれようと思わず、
何を言われようと、どんなことに見舞われようと「どこ吹く風」で好きな
ように生きればいい。・・ これは先が短い人間の特権であり、実に幸せな
ことではないか」 (287頁)
「今後、介護やあなたの世話をする気はない。
でも、離婚という形は取りませんから」★卒婚(292頁)
「将来を嘱望された男ほど、美人の誉が高かった女ほど、
同窓会に来ないというのはよくわかる」(314頁)。
「思い出と戦っても勝てねンだよッ」 (319頁)
「思い出と戦っても勝てない。「勝負」とは「今」と戦うことだ」(333頁)
「僕が笑うと、久里も笑った。きれいだった」(366頁)。
▼ 産業廃棄物の典型的な人物描写である。第一の人生をソツなく卒業すると、
こうなるのだろう。学生時代の友人が、いまだに、実家の関連会社の社長に、
しがみ付いている。曰く、『何もすることがない事が恐ろしい!』と。
それも良い人生かも知れない。 『日々、是、口実』よりも?
「終わった人」ならまだしも、「いらない人」になっていく私?
で更に、内館は、『必要のない人』という本を書いている。 ったく!
・・・・・・
5269,凶器としての狂気 〜ニーチェ「超」入門〜
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08月18日(木)
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