ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5621,人生を幸福で満たす20の方法 〜①
         <人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著)
 創業の準備期間は、常に何かに追立てられている気分だったが、充実した
日々でもあった。創業を目指したからこそ出来たことが多い。目指すことが
ハッキリしていれば、様々な好奇心が旺盛になってくる。創業は、その努力の
積重ねの結果であり、決して博打ではない。これは、幸福への努力と同じ。
  〜紹介内容より〜
 幼くして視力を失うという絶望の中から、微かな希望を見出して日々を生き
抜き、いま幸福に満たされているエッセイストが綴る「幸福のつくり方」。
人生に虚しさを感じたとき、どのように心を幸福感で満たしたらいいのか?
生きる意味が分からなくなったとき、絶望の淵に立ったとき、どうやって希望を
見出して乗り越えるのか? 心に幸福を生む考え方とは? 珠玉の20話。 
  [ 目次 ]
:空虚な日々を楽しむ方法:(好奇心で心を満たそう ゲーム感覚で
              チャレンジ 手触り感のある生活 ほか)
:絶望の日々を生き抜くために:(危機は自然体で乗り越えよう 
    夢を叶える方法     出会いと別れの達人になろう ほか)
:幸福力アップの秘訣: (人生相談の極意 いまを「旬」として生きる 
             幸福を生み出す魔法の言葉 ほか)
  〜プロローグ〜より〜
≪ 外的な環境がどんなものであるかにかかわらず、心が幸福で満たされれば
 人生は幸福なものになる。心に不幸な感覚が満ちていれば人生は惨めで不幸な
ものになる。心をそのどちらの分銅によって傾けるかは、ひとえに私たち自身が
「幸福になりたい」と願う意志と、逆境にあっても光を見出す「幸福力」の強さ
にかかっているのだ。ただし、「幸福である」ことと「幸福を目的にする」こと
は違う。J.S・ミルがいうように、幸福そのものを人生の目的にしてしまうと幸福
にはなれないだろう。それは本末転倒であろう。なぜなら、幸福は行動の結果、
つまりミル風にいえば副産物であって、目標として提示されるものではないから。
ではどうやって幸福になるのか。私の考えでは、「幸福のベクトル」に乗った
行動の積み重ねによって人生を幸福で満たし、不幸を追い出してしまえばよい
のではないだろうか。ちょうど節分に豆まきで鬼を退散させるように、心の隙間
から入り込もうとする不幸を退散させ、幸福の光で心を照らしていくのである。
本書では、そのためにできる二〇の実践例を、幸福のレベルに応じて三つの段階
に分け、私の経験に基づいて語った。
 ところで、幸福に至るには試練を直視しなければならない。私の場合、最大の
試練は光を失ったことであった。だが、これを受け入れて自己の特色として
生かす術が身につけば、試練はむしろ幸福のための糧となり、最後には幸福の源
とさえなり得ることも、私は学んだ。だからいまではこれを試練としてではなく、
生物的な特色としてニュートラルにとらえ、シェネレスという造語で呼ぶことが
できるようになってきた。そしてこのような考え方ができてくると、幸福感も
高まり、おそらく幸福力も高まってくるのだと思う。
 そんな意味からも、本書ではさまざまなほかの試練とともに、この最大の試練
とどう向き合ったかを、これまでより深いところから語った。願わくは、これを
「障害の受容」のストーリーとしてではなく、あなた自身が幸福を追求するうえ
でのヒントとしてお読みいただければ幸いである。・・ ≫
▼ 幼くして視力を失う試練の中で、「幸福のベクトル」に乗った行動の積み
 重ねによって人生を幸福で満たし、不幸を追い出してしまうかを提示する。
老いるということは、死に向かい受容するプロセスでもある。その中で、幸福感
を維持するヒントが、ここに多く書かれている。 〜つづく

・・・・・・
5256,蓄群本能  〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月05日(水)
             〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * 蓄群本能 

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08月05日(金)
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