ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5476,閑話小題 〜ギョッとする
* かなり春めいてきた。
プロ野球のオープン戦が始まり、大相撲の3月場所、春の甲子園、そして、
オリンピックの地区予選も始まる。ふと、社会をみると、入試と合否の発表、
就職、進学等で希望に溢れた若者たちの姿が現れ、桜の開花と花見などの
エネルギーに満たされる。そして、春のゴールデンウィークをむかえる。
ところで、今年は何をして楽しむか?
* ギョッとする
ギョッとするとは、ネット辞書によると、
【突然予期しないことに出会って、驚き動揺 するさま】とある。
年をとるとは、「あれは、あれ。これは、こういうこと」と、経験の壁で
囲われて、「ギョッとしなくなること」ではないか。小さな経験範囲で決め
付けて、その周辺とか、真相をみようとしなくなる。それを防ぐのが読書、
旅行、散歩だろう。そこには小さな発見や、ギョッとする驚き。犬も歩けば
棒に当たる、である。 海外ツアーで臨時の小集団で旅行をしている内に、
それぞれの人生を垣間見ることになるが、様々な人生にギョッとすること、
しばしば。と同時に、合せ鏡でみえてくる自分自身に驚き動揺する。
それより大自然や、人類の文明、文化の異質にも驚かされるが、これを
ギョッとはいわない。それは、身近な驚きが中心である。
ところで、最近、ギョッとしたことは何だろう? しばしばギョッとする
のは、自分のあまりの無知、「何にも知らなかったんだ!」である。
知れば知るほど、知らない世界や物ごとの深さと広さを知る。
これこそ、「ギョッ」である。 ったく!
・・・・・・
5111,僕の死に方 −2
2015年03月13日(金)
* 死への絶叫
最期の著者の叫びが、生々しい。知人が次々と亡くなっているが、
このような内なる叫びをしていたのだろう。著者が死期を悟った一月前からの
具体的記述のため、心を打たれる。死に際は、これが実態。誰も通る道である。
20年以上も前に、『死ぬための生きかた』と、続刊『生きるための死にかた』
という、様々な死に際の手記をマトメタ本を読んだことがあるが、それは
生々しい! この、一節から 〜p161
≪ あと一年半の命のところ、苦しい治療を受ければ3ヶ月伸びることに
なるらしいが、一年半のままで終わっていい。最後まで、こうしてやりたい
ことをやり、妻とふたり、長いことおしゃべりして死んでいけるのがいい。
寿命が三ヶ月延びる治療で苦しませるのは、本人のためになるのだろか。
家族が精一杯のことをやったと思えるだけのために、0・01%もない
奇跡のため、国の治療費を無駄使いするのは本意ではない。
正直、自殺したい。
でも、もう、それもできない。
体がまったく動かない。
率直に言うと、今すぐ死にたい。この苦しみから解放されたい。
誰かが死なせてくれるなら、頼んで死ぬという気持ちにもなる。
でも、もう動けない。 歩けないから、ベランダにもたどり着けない。
飛び降りようにも飛び降りられない。
痛くて苦しくて、胸の周りがなんとなくもやもやして、生きた心地がしない。
このまま逝ってしまうかもしれないと思っているけれど、まだ生きている。
天命に従うしかないのだろう。
自分の人生を選択してきたつもりだったが、
最後の最後になって、終わりの瞬間を選べないとは。
でもいい。
自分は最後まで、自分に正直に生きてきた。
濃い人生だった。そのことを誇りに思う ≫
▼ 近所に住んでいた家内の友人が、似たような肺の病気で亡くなった。
通夜で聞いてきた「息が出来なくなった断末魔の苦しみ」は、壮絶!
大方の人が、このような思いで死んでいくのだろう! 明日は我が身。
ここに、生への希求(砂漠の中で一滴の水を求める渇き)が書かれてない。
その渇きと、苦痛と、苦悩は、直ぐにでも死にたくなるほど辛いのである。
死ぬ時は、のた打ち回って死ねばよい。そうして生まれてきたのだから!
・・・・・・
・4746,閑話小題 ーソロモンの指輪の物語 〜2
2014年03月13日(木)
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03月13日(日)
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