ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5466,人生で最も大切な技術 ー24 楽観主義と悲観主義
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
* 楽観主義と悲観主義、この二つの世界観
楽観だけではモノゴトは上手くいかないし、悲観主義だけでは、面白くは
生きていけない。この年齢になると、「もう○○歳」と「まだ・・」と考える
かで、大きく違ってくる。『悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志
のものである。およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなものだ』
と、アランが『幸福論』でいうが、やはり意志が受止め方を変えていく。
〜その辺りから〜
≪・楽観論者とは、この問題は一時的、制御可能、特定の状況と関係している、
というふうに考える人。「そのような些細なことで大騒ぎするのは理に
適っていない。すぐに片づく。自分で解決できる。いずれにせよ、これまで
常に解決できた」をモットーにする。
・一方、悲観論者は、問題は長引くだろう(この種の問題は簡単に片づかない)、
やることなすことが裏目に出る(私には期待しないでほしい)と考える人である。
また、生まれつき精神的な欠陥があると思い込み、「何をしても結果は同じ」
と冷めていて、「生まれつき幸せとは縁がない」と結論づける。
現代人の多くが不安感に苦しんでいるが、これは悲観論と密接に関係している。
悲観論者は常に災難を予想し、慢性的な不安症にかかっていて、疑い深く
なっている。不機嫌で、苛立ち、神経過敏になり、世の中や自分への信頼感を
失っていて、常にいじめの犠牲になっている、捨てられる、無視されている、
などと取り越し苦労する。≫
* 楽観論に対する論外な非難
≪・心理学の世界では長年にわたり、多少抑うつ的な人のほうがものの見方が
「現実的」で、楽観論者は、苦痛の伴う状況よりは、愉しい出来事に長々と
思いをはせ、過去の実績や達成を過大評価する傾向がある、と信じられてきた。
仮にそれが真実なら、楽観論者に比べて、悲観論者の方が目を大きく開けて、
状況をより明快に評価する傾向がある、という理屈になる。また、その説が
正しければ、悲観論者は、「現実は必ずしも、笑えるほどに愉快なことばかり
ではないだろうが、物事はあるがままに見るべきだ」と考える。
・一方の楽観論者は、たしかに愛想は良いが、救い難いほど世間知らずで、
無警戒な夢想者で「夢から現実世界に戻されるのが落ちだ」という議論になる。
どうやら、以上が正当化されてきたのは、単に偶然が重なっただけらしい。
各種の研究が進展中だが、その結果、客観的で超然としていて用心深い、
と考えられていた悲観論者の判断は不適切、ということが立証されたのである。
日常生活で起こる、現実的な状況に注目すると、楽観論者のほうが悲観論者
よりも現実的かつ実用的なアプローチをとることが実証されている。≫
▼ 明石家さんまの座右の銘は「生きてるだけでまるもうけ」という。
「生きてるだけでまるもうけ」は、「死」が視座にあればこそ言える言葉。
長門裕之の妻の故・南田洋子が晩年、この言葉を口癖にしていた。ならば、
生きているうちに楽しむだけ楽しまなければ!
・・・・・・
5101,悪夢の21世紀 ー6
2015年03月03日(火)
* ニーチェが看破したキリスト教の価値観
(12)≪ 思想家ニーチェは、来る200年はニヒリズムの時代になる、と言った。
ニーチェが死んだのは世紀の変わり目1 9 0 0年だった。ニヒリズムは人々が
共有できる大きな価値観の崩壊。キリスト教が約束した福音も近代主義の福音
も、ヨーロッパが生み出した大きな価値観であった。人々の幸福を保証する
ものだったはず。ニーチェはそんな価値観は脱ぎ捨てろと言った。キリスト教
や近代主義の理想にとらわれては駄目と言った。そんな幸福はちっぽけなもの
だし、人はそんな価値によっては幸福になれないと言うわけ。 ニーチェは
キリスト教は人間を見苦しいまでに自虐的な存在にし、自由や平等や人権などを
唱える近代社会は極めて偽善的で欺瞞的ないやらしい社会だ、と言った。
今日アメリカがグローバルな正義として打ち出している自由や民主主義、平等
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03月03日(木)
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