ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5362,うらやましい死に方 〜死の前に一人でお遍路へ
ーうらやましい死に方ー五木寛之[編]
妹に対する姉の愛情が行間から溢れ出ている内容で涙を誘う。
人の一生は、世界と同じく深くて広い。生きてきたように人は死んでいく。
* 死の前に一人でお遍路へ 日引美江子(京都府宮津市52歳)
≪ 四人姉妹の末子K子(四六)は、七タの夜ホスピスで亡くなりました。
死の間際「私達姉妹で良かったね」と声をかけると「有難う。さよなら」と
右手をちょっと上げて答え、それが最後の言葉となりました。ペルーが好きで
インカの遺跡を上空から眺めた時の感動をよく語っていましたので、枢の中を
ひまわりの花むぎわらだびで埋めつくし麦藁帽子と好きだった煙草を入れ茶毘に
付しました。その日の夏空はどこまでも青く澄み"コンドルは飛んでゆく"の曲と
共に妹の魂が天空に吸い込まれていくように感じました。
妹は大学院を出た後渡米、文化人類学で博士号を取得、帰国後は年老いた
父親との二人暮し、大学の講師や翻訳をしながら自由に世界中を闊歩し生き生きと
暮していました。妹なりの切り口で見たこと感じたことを面白おかしく話して
聞かせてくれ、私共もそのような妹を見ているのが楽しく好きでした。しりめ
そんな妹からある日突然「私は癌」と告げられオロオロしている私共を後目に
手術・抗癌剤・放射線治療と続き、その後仕事に復帰、以前と変わらぬ活動的な
日々を送っていました。よもや再発との気配は感じられませんでした。
ところがその又二年後のある日突然、「実は術後すぐ再発していた、自分なりに
調べ考えたすえ、治療はせずに自然に生きられるだ星きようとその時決めた。
いよいよその時が来たから私は今からホスピスに入る」と淡々というのです。
・・(略) 死の五ヶ月前、四国八十八ヶ所を一人巡り、高野山にも参って
いるのです。遍路体験を‘日本版ホスピス’と言い「踊る阿呆に見る阿呆、
同じ阿呆なら踊らな損々というのはすごい真理だと思う。途中行き倒れても
向かう先はお寺だから安心、次の札所までという目標があって自然の中を歩いて
いる方が寝ているより健康的なのは確かです。病人だから歩けないと思うのは
思い違いである場合も多いと思う。生きている限り寝ていてもエネルギーは
使います。とにかくお遍路さんは最高です」と友人にメールを送っています。
そんな話を聞いても私は再発し死期が迫っているとは考えず、不断の好奇
心旺盛な妹の行動と思っていました。気付いてやれなかったことが悔やまれて
なりません。知ったところでどうしようもなかったでしょうが、明るい言動
とは裏腹に一人悩み苦しんだ夜もあったろうと思うと未だに涙がこぼれます。
でも最後まで誰にも知らせず胸の内にしまい生き続けたことが、妹なりに
学んだ哲学を、自分の生き方の中で実践したということなのでしょう。
最後の三週間は妹と一緒にホスピスで暮しました。冗談は言っても心の内を
語ることはありませんでした。ホスピスでの手厚い介護のお蔭もあり、妹は
とても穏やかで‘有難う’‘ごめんね’‘おいしい'と言うだけでした。
私は七タ様の短冊にこの言葉を書いて吊しました。我妹ながら、あっぱれ! ≫
▼「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々というのはすごい真理
だと思う」は、人生を通して実感した真理だからこそ響きが伝わってくる。
エライヤッチャ エライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイ」の エライヤッチャは
「大変なことだが平気だぞ」といった複雑な意味が 込められているという。
一人では出来ないことが娑婆には多い。踊るか、見るか? 集団で狂乱して
踊るのも、日常から外れる方法。人生、それぞれが独り阿波踊りでもある!
・・・・・・
4997,暴走する世間 −11
2014年11月19日(水)
「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著)
* 「格差」拡大による「そねみ・ねたみ」の肥大化
建前が平等の社会にあって、格差が拡大すると、自分より上に対する
「そねみ・ねたみ」が拡大する。 逆に下に対して、陰湿な苛めなど差別を
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11月19日(木)
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