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堀井On-Line
by horii86
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■5357,閑話小題 〜大学の同級生が次々と!
* 再び、腰痛談義
軽い慢性腰痛だが、時に重くなる。20分以上歩くと腰全体が重くなる。
週三回のヨガが、自己治療の役割を果たしているが、この季節の変わり目
の鈍重の痛みは気力を萎えさせる。でも腰痛持ちになって半世紀経つが、
一度も医者に行ってない。毎日4〜5時間、パソコンと読書で、椅子に座る
のが一番大きな痛みの要因のようだ。 先日、(ハイキング・登山用)折り
たたみ式の杖を購入したが、流石に、まだ使ってない。 旅先で何度か
使いたくなったが我慢した。歳には勝てないとは、こういうことか。
* 大学時代の同級生が次々と!
7〜8年前から、学生時代の教養課程1〜2年時代の同級会に、毎年、
この時期に、出席をしている。参加人員が入替わりながら20人弱が出席。
参加した頃は、あまり病気で倒れたとかいう話はなかったが、前期高齢者
年齢になる頃から、毎年、その中から、ガン、脳溢血で倒れたという話題が
出てきた。『脳梗塞で半身不随、身体が捩れた姿に、本人の目の前で、
思わず泣いてしまった』等の深刻な内容。ところが、先日、武澤ゼミ仲間
でもあった幹事からの開催案内の電話が入った。 いつも同級会の終了後、
人形町から東京駅までタクシーで三人で同乗していた二人が倒れたという。
『N君が二番の脳梗塞で一月に死亡。S君が膵臓ガンで手術。他にM君が、
そして実は、自分も来週、手術予定』と、絞りだすような電話。
寒々しい内容だが、「他人は先、我は後!」など、言っていられないのが
古希、70歳の峠。この坂道、平坦でないのは頭で分かっていたが、
中野君が他界していたとは。 ご冥福を! 川柳に、自分の番になると、
~今までは 人のことだと思ふたに 俺が死ぬとは こいつぁたまらん~
・・・・・・
4992,暴走する世間 −8
2014年11月14日(金)
「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著)
*「IT世間」の登場
この随想日記(自分の覚え書きや、読書感想、つれづれの思いなど)
の公開を13年以上も続けてきた。せいぜい50〜60のアクセスと思い込んで
いたところ、10日ほど前に、フォロー用の「Hatena]のブログが300
近くのアクセスがあることに気づいたことを先日書いた。
これと二つのブログを加えると350以上のアクセスがあることになる。
身近な50〜60だと「IT世間」になるが、350以上だと「ITネット社会」
になる?と・・ いや、この程度の数は「IT世間」でしかないか。
この発信もあってか、群れたいとか、寂しいとかが皆無に近い。人間は、
誰かに自分の話を聞いて欲しいのである。70年も生きてきたお陰で行蔵は
充分あり、考えることも、読みたい本も、行ってみたい世界も山ほどある。
その独り語りを、ケータイやパソコンなどのITの端末から発信出来、
かつ様々なブログをみることが出来るのだから有難いことだ。
しかし、その反作用で「世間」しか持ち得ない日本では、IT社会がIT世間
として、プチ世界を更に小さくしているようだ。このブログも同じようなもの?
ーその辺りからー
≪ 日本では1980年代以降の「過剰商品化」によって、「ある限度」をこえた
市場化ー商品経済化が生じ、その結果として、子どももふつうにケータイを
もつことになった。これは西欧社会と比較しても、ケータイの普及が日本では
いわば臨界点にたっしていることを意味する。しかしケイタイの普及によって、
人びとがウェブを介して世界の人間とつながることができるようになったか?
そんなことはないはず。日本おけるケイタイのつかわれ方は、むしろ狭い
「世間」をますます狭くするように「世間」を再生産してる。いまや小学生が
ケイタイをもつようになって、それが「いじめ」につかわれることが問題に
なっている。ケイタイの登場という技術革新で、日本に新しい人間関係が
生まれたか。答えはノー。「日本ではケイタイの普及で、個人をベースとした
社会的交渉が成立している欧米にない、IT化された世間の付きあいが
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11月14日(土)
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