ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5339,構造主義とポスト構造主義 〜②
   * ポスト構造主義とは   〜『世界の哲学・思想』小須田健著
 ポスト構造主義とは、現状を追認する保守的思想形態に陥りがちな構造主義を
批判、多様性を認める必要性を説いた。米ソ対立、自民党対社会党の二項対立
から、ソ連崩壊と中国の資本主義化などを経て、現在の、混沌とした社会を
語るに「ポスト構造主義」は、正にうってつけ。 〜その辺りから〜
≪「ポスト」とは、「の後に」という意味です。ですから、ポスト構造主義とは
構造主義の後に登場した思想のことを指します。ただし、「ポスト」構造主義と
いう呼称から想像できるように、実存主義における「実存」や構造主義における
「構造」にあたる明確なキーワードがそこには欠けています。
 これは、もはや現代が一つのキーワードで包括的に語れる時代ではなくなって
しまったことを反映しているのかもしれません。この名称そのものは、八○年代
にデリダを中心としたフランス現代思想を積極的に受容したアメリカで生まれた。
当初は主に文芸批評の領域で用いられていましたが、やがてフランスにも逆輸入
され定着していったようです。
 構造主義は、私たちをとりまく諸制度の中に潜んでいる諸構造の分析に
主眼を置いていました。ただそのために、ややもすると現状を追認する
保守的思想形態に陥りかねない危険性がそこには内在していたのです。
 このような構造主義のあり方に不満を覚えたデリダ、ドゥルーズ、リオタール
らは、西洋の文化形成を根本から疑問視したニーチェやハイデガーといった
思想家の考えを受け継ぐ形で、思索を展開します。この考えの中心は、哲学に
つきものの「同一性の思考」の批判にあります。「それはなんであるか」という
問いのスタイルを特徴とする形而上学は、本質という観点からすべてのものを
一様にとらえる営みです。ここでは本質からはずれたものは、すべて不純物と
して排除されるより他にありません。つまり、本質(A)か本質でないか(非A)と
いう基準だけですべてが選別される。ここに多様性や変化の余地がありません。
 ポスト構造主義は、そうした決めつけが哲学形而上学の常套句だと批判した。
ただし彼らは、対象への正面からの批判や否定を避けました。なぜなら、
このような態度は結局否定すべき対象と同じ土俵にとりこまれてしまうからです。
肝心なのは、Aか非Aかという二項対立的な価値付けにもとづく土俵そのものを
揺さぶることなのです。このため、〇リオタールは、相手の流れに乗りながら
その方向をずらしていく「漂流」というスタイルを、〇デリダは、対象の中に
住み込むことで内側から亀裂をもたらす「脱構築」という方法を、〇ドゥルーズ
は、一カ所への定住を嫌う「ノマド(遊牧民)」的運動という戦略を採ることに
なったのです。また実践面において、後期のフーコーや晩年のサルトルのように、
知と権力の共犯関係を暴くことや、フェミニズムや少数民族の自立運動への
積極的な支援が行なわれました。構造主義からポスト構造主義への移行点を
なした出来事に、1968年にフランスで起こった五月革命(パリを中心に起こった
学生、労働者、市民による反政府運動)があります。この事件は、後に日本にも
飛び火して学生主導で進行する学園紛争を巻き起こしました。この事件は、
もはや学問が大学という隔離された制度の内部では安住できなくなったことを
象徴する出来事でした。今必要なのは、学問を完成したものとして受けとる
のではなく、知が生まれつつある現場に身を置き続けることなのです。
だからポスト構造主義では、生成や出来事がより重要視されるのです。≫
▼ これからすると、現代の世界情勢は、この思想に沿っている。
 世界は「漂流」をし、内側からの亀裂をもたらす「脱構築」になり、 
民族の大移動といわれるシリア難民などの欧州への移動が始まった。
その根は情報化がある。それは生成や出来事が一瞬にして地球の隅々まで
周知される世界である。個々人がスマホという情報機器を持ってしまった。
これは、ポスト構造主義も「新しい?主義」に取って変わる起因になるのか。
・・・・・・

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10月27日(火)
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