ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5292,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー⑦
         ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
             〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
  * 私の物語、私が書かずに誰が書く
 一年前に50回に渡ってー「事業人生を決心して45年」の語り直しー
を書いていた。思い浮かぶままの書きなぐりだったが、傍目からみたら、
バイアスがクッキリみえていたのだろうが、それが、その時の私自身である。
それも他人に向けて書いた内容ではなく、自分自身の旅路をそのまま書き
残したもの。あとで余禄も書いてあったが。  〜その辺りから
≪ 我々は皆、それぞれの思考や感覚の癖によって歪められた主観世界に住み、
自分に都合よく書換えた物語を生きている。登場する他者たちもリアル世界
の存在ではあるものの、そのキャラクターは主観者によって解釈され色付け
されるため、被害妄想的な物語を紡ぐ者にとっては迫害者となる一方で、
同じ人物が別の人間の目には英雄的存在として映っていたりするわけである。
 したがって、どれが本当の物語なのかは誰にもわからない。いや、本当の
物語などないのかもしれないのだ。マリー・アントワネットやヘンリー8世と
いった歴史上の有名人物も、その語り継がれたエピソードを忠実に再現しても
なお、解釈のしようによってその人物像はいかようにも描かれ得る。
私は私の物語をできるだけ正直に書こうと心がけてはいるが、己の主観の歪み
からはどうしても逃れられないため、公正なる第三者(そんな者がいるとして)の
目から見ると、かなりバイアスのかかった物語になっている可能性も大いにある。
それを考えると「正直でありたい」などという‘夢'というか、途方もなく
誇大妄想的な万能感に基づく放漫な野望なのかもしれないのだ。
 だが、私はそれを承知していてもなお自分の物語を書かずにはいられない。
私の物語を私の視点で語れるのは、この世に私ひとりしかいないからだ。
私が書かなくて誰が書く、といった心境である。いや、ぺつに誰も書かなくて
いいけど。どうせくだらない物語だしね。 しかし私は、ただでさえ少ない
脳みそをぎゅうぎゅうに絞っては、必死で己を表現しようとしている。私が
「言葉」を諦めないのは、自分の物語を諦めたくないからなのかもしれない。
私が体験したこと、私が感じたこと、私が見てきた世界の風景を、ありのまま
に届けたい。それは何故か? 私は何を伝えたいか? おそらくこういうことだ。
 私が何者なのかを、私は知らない。自分が何のために生きたかもわからない。
そんな無知蒙昧な私が己の人生を通して、どのような答えに行き着くのか、
私とは何者だったのか、私の人生にはどんな意味があったのか、それを
読者に問いたいために、私は私の物語を書くのである。 
 正確なジヤッジを下して欲しいから、できるだけ正直に書きたい。
私の主観によるバイアスも含めて、私という人間を客観的に解読して欲しい。
その結果、とんでもない詐欺者だという結論を下されようが、ただの頭の
おかしい自己顕示欲女だと言われようが構わない。私は他者の目にどう映るか…
それが知りたいから、私は書く。間違っていようが狂っていようが、私の中の
本気の言葉を書き続ける。「言葉」は私の神であり、「言葉」は私自身である。
そんな私の言葉を信じなくても構わないし愚弄したければしてもいいが、
わざと歪曲するのは許さない。無意識から生まれた曲解であれば仕方ないけど、
故意にやったらそれは悪意だ。私に対する、いや、私の「言葉」に対する
侮辱なのである。・・・ ≫
▼ 人の口は歪曲そのもの。その歪曲を許せないとは! とすると、
 己の歪曲もまた許せないことになる。そこから悩みも矛盾も出てくる。
物書きだから、仕方がないとしても・・『日々是口実』と自覚を持てば、己も、
他者の歪曲も許せ、見逃せる。 自分の物語を書き出すことは、自分の歪み、
壁に気づくことになる。 それこそが自分自身であると自覚することになる。
・・・・・・
4927,パワレルな知性 ー5
2014年09月10日(水)

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09月10日(木)
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