ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5258,超人思想 〜ニーチェ「超」入門〜
〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
* 超人思想
神のかわりに超人を置いた。ニーチェは「人がもつべき最高の価値観とは、
自己の人生を肯定する価値観であった。全てが無にきす中で、自己実現を
成しとげたところで、何の意味があるかに対し、二つの解答ををしている。
一つは、充実した人生そのものにあり、そうした人生自体に生きる価値があると。
そして、もう一つは、すべては永遠の無に帰するのではなく、永劫回帰する、
というもの。時間は巨大で宇宙的な同心円を描いて進むため、以前、起こった
ことすべてが、やがて再び巡ってきて、その後、同じことが繰り返されるとした。
二ーチェの思想を簡単に要約すると、超人思想になる。 〜その辺りから〜
≪ 彼は多くの著書で超人について書き、超人の誕生について執拗に呼びかける。
たとえば、『生成の無垢』からその一部を拾ってみよう。
・「私の要求は『人間』という類全体に超然として存立する存在者を産出すること」
・「私の運動は超人を産出する」
・「私は孤独のなかへおもむいて、超人を創造した。そして超人を創造し終えると、
私は超人に生成の大いなるヴェールを張りめぐらし、超人のまわりに
正午の光を輝かせた」
・「人間は、動物と超人の間にかけ渡された一本の綱である。一つの深遠の上に
かかる一本の綱である」
・「見よ、わたしは電光の一告知者であり、雲から落下する一滴の重いしずく。
ところで、この電光は超人とよばれるのだ」
このような詩的な比喩を使ったもったいぶった文体のせいもあって当時の周囲の
人々、そして後世の多くの人が、超人は偉大だがどこか底知れぬ恐ろしさのある
人間、人間ではない英雄でありながら悪魔のような人間、あるいは万能の人間
というふうに誤解した。
ニーチェの超人は従来の概念ではとらえきれないタイプなのだ。
しかし、多くの人はそのことが理解できずに、今まで見聞きしたことのある
手持ちのイメージをなんとかあてはめようとする。そこに誤解が生まれる。
彼は『生成の無垢』で超人についてこうも記している。
・「あせることはない!超人は私たちの次の段階なのだ!」
・「ギリシア人たちのように、人間をおのれ以上のものにまで高める」と・・
単に脳だけではなくて、全身体を、より高く形成すること!」
・「人間は、超克されなければならないところの、何ものかである」(-2-8)
では・超克されなければならない人間とはいったいどういう人間のことか。
それは世間に馴れきっている人間のことだ。因習や世悶の道徳をそのまま受け
取り、世の習いに受動的であり、普通人と同じような行動をするのがまさしく
見聞に馴れきっている人間だというのだ。それは社会に適応しているということ
だし、一般的にはまとも庶民と見られる。・・・ ≫
▼ ニーチェは、この世こそすべてと考えた。ショーペンハウアーの、
「この世界は部分にすぎない、それも大して重要ではない」を退けた。
「人生を精いっぱい生き、可能な限りのもの、知識を得るべきだ」と考えた。
彼の最大の課題は、神が存在せず、意味のない世界で、人はどのように情熱を
持ち続けながら生きていけるのか、ということだった。そして、神にかわって、
超人をおいた。 欧米の価値観の底流を、そこに見ることができる。
・・・・・・
4893,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー45
2014年08月07日(木)
* 面白かったという手応えが残った有難さ!
改めて45年を振返ると、これは人生そのものの総括であり、自分の限界の
再認識にもなる。経済雑誌『財界』を発行する財界研究所の創設者・三鬼陽之助
の弁『経営者たるものは、その行蔵を表立てないこと、秘しておくこと』がある。
経営者失格の私が、こんな行蔵を書くべきでないのが、本当だが、今さらである。
先日、ここで取上げた『意味としての心』の中で
《「意味」の『意』は「気持」。『味』は、ミ。満るのミ、記号で言う、身、
実、につながる。その時々の節目で、何が満ち、何が実として、あったか?
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08月07日(金)
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