ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5110,僕の死に方 −1
        ー僕の死に方 金子哲雄著ー
 流通ジャーナリストの著者が亡くなった後、この本が出版され週刊誌などで
話題になった。その本を先日、図書館で見つけ借りてきた。亡くなる一月前から
執筆したため、内容は生々しい。TV番組でスーパーや家電店で、安く購入する
コツをフレンドリーに解説する姿を度々見かけていた。 〜アマゾンより〜
< 突然の余命宣告。絶望の中でやがて彼は「命の始末」と向き合い始める。
 その臨終までの道程はとことん前向きで限りなく切なく愛しい。2012年10月、
「肺カルチノイド」という急性の難病により、41才という若さで急逝した流通
ジャーナリスト、金子哲雄さん。死期を悟った金子さんは、会葬礼状まで生前に
用意し、自分の葬儀をプロデュース、自らの死をも「流通ジャーナリスト」
としての情報発信の場にした。まさに、みごとというほかないその最期・・ 
 しかし、彼が「余命0」宣告を受け入れ死の準備を整えるまでには、
乗り越えなければならない悲しみ、苦しみ、そして何より、最愛の妻を残して
いくことへの葛藤がありました。死の1か月前から、最後の力を振り絞って
書き上げた本書には、その一部始終が綴られています。
  【担当編集からのおすすめ情報】
《 金子さんのマネジャーから担当編集者宛に、「金子さんが肺カルチノイド
という病気を患い、もう助からない。本人が会って話したいと言っているので
来てほしい」という連絡を受けたのは、亡くなる1か月前のこと。
40代で死ぬということがどういうことか、妻に何を残せるのか、気持ちに
どんな変化が起きるのか・・金子さんはそれらを書残したいと言いました。
 亡くなる直前までパソコンで書いた言葉が生々しい。『病気だけは想定外。
描いていた未来が、病気になったことで見えなくなった。病気になった後は、
遠い将来の目標に向かうわけにいかない。自分にとっては苦手な、今日一日、
この瞬間、瞬間を重ねて生きるという生き方に変えなくてはならなくなった。
これではどう生きていったらいいのかわからないとも思った。遠い未来が
見えない状態で生きていくことは、自分にとってはきつい。でも、明日、
今日、今と、ごく近い未来を目標に生きるのにも、少し慣れた気がする。』》
▼ 50歳半ばから、次々と友人が亡くなっていく。そして、徐々に自分の番?
 かと、不安が増す。想定死亡年齢を75歳とすると、残された時間は6年。
それも、いつ余命を告げられても不思議でない。父の享年の71歳まで二年が
当面の目標。そして次が、オリンピック開催辺りになる。介護期間が、平均
9年というが・・ このような、死にぎわの体験本を多く読んできたが、実際
に直面するのとは全く違う? それから死ぬまで、それまでの一生分を生きる
ことになるが、これも人生の一部。プッツンが良いが、恐いが、のたうちも!
・・・・・・
4745,閑話小題 ーあれから三年
2014年03月12日(水)
  * 現実に経験し、そうなってこそ、知ることがある!
危険水域に入っているのは解ってはいたが、それでも、倒産など、その数ヶ月
前までは、思いもしなかった。当時、前年比20%半ばの売上減が三年目に
入っても続いていたが、それでも何とかなる!という、気持ちがあった。
そして年末の支払に、予備資金を一時的に、手を付けざるを得なくなった。
3年来の売上が半分、10年間で、三分一まで、売上ダウン。その事態は10前
には考えられないこと。予備資金を使いざるを得なくなった事態と、年次決算が
償却前で赤字が事業断念と予め決めていた。資金枯渇前の事業断念は、当然。
 その前に、家族や知人の連帯保証人による借入や、高利貸しの借入もあるが、
子供の頃からの倒産に関する見聞で、タブーは分かっていた。資金繰りに
追われる前に、前倒しの実質自己精算の決断をしたことは、ここで書いてきた。 
三年経った現在、振り返ってみて、ベストの決断時だったと、自己総括している。
 5つの事業物件も順調に売却でき、四割近い自己弁済が出来た。後で知ったが、

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03月12日(木)
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