ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■修羅場の極意 ー3
              『修羅場の極意』
   * 私の修羅場解決法 〜正中心一点無
 そういえば、修羅場にたつたび、「正中心一点無」を呟いていた。
難題にぶつかると、その中心点に気持ちを集中して、無心に考える。
そのうちに自然と何が問題かが見えてくる。4年前も、そうだった。
事業が、限界に近づいてきた時、問題の本質は何だろう? 想定外のこの
売上減は何ゆえ? これは乗越えられる壁か? もう無理? 継続断念? 
を無心に考えて考えて考えるしかなかった。 事業だけでなく、人生にも、
いえること。 65歳の年齢の節目時には、心構えを「正中心一点無」を
呟き、図書館で本を探して、その読書感を書いていた。
10数十年前、随想日記に「正中心一点無」の小題で書いてあった。
≪  [110] 正中心一点無  〜2001年
 15年前か、経営セミナーで栗山奉行という思想家?の話を聞いた。
あまりに奇抜で面白かったので、その人の本を買い求めた。そこにこの
正中心一点無という言葉があった。少し考えれば、この意味は解るだろう。
問題解決の時などこの言葉を唱え考えると、時間と共に自然解決してくる。
それが難解であればあるほど、無心に考えると答えが自ずと出てくる。
今まで、どれだけ知恵が出てきたことか。知恵袋の呪いと言ってよい。 ≫
▼ 『修羅場の極意』の中にもあったが、難題に対し、その最悪の場合を
 想定し、その場合の対処を幾つか考えて、そこから逆算しながら、その
対策を冷静に考える。これは、人生の難問にも可能である。難問であるほど、
人には相談しないこと。書店と図書館を歩いていると、自然と本の方から
呼びとめてくる。こういうのを因縁という。「因が難問」で、「縁は呼び
とめてきた本」になる。修羅場から得た極意は、何ものにも換えがたいのは、
それが、その人の芯になるため。「まずは、修羅場は可能な限りさけること!
だが、起こってしまった修羅場は、全霊をもってあたるべし」である。
考えてみれば、この随想日記も、『正中心一点無』で、自然体?
で書いたもの。  〜これも偶然だが、以下の文章に続く!
・・・・・・
4686,エッセイ力は人生力
2014年01月12日(日)
          「60代からのエッセイ教室」木村治美著
  * 自分を表現できる仕合せと、自己開示
 三年前の節目から今まで、長いようで短かった。
ウツにならないために、ことの本質を見つめるために様々な本を読みながら、
自分の心を整え、それそのままを、ここで書いてきた。今回の節目時の核に
なったのは『自己をみつめる』で、26回にわたって書いてある。 
その合間に『節目どきに』と『ジャズについて』が入っている。
その後のテーマは、哲学とユング、そして精神力などを取り上げている。 
書くことで、セルフ・カウンセリングをしていたのである。現在も、同じ延長
上にある。思いを書き出すのは、心の傷から流れ出る血を凝縮する作用が働く。
今年早そうから「何だろう?この現象は」を書いたが、その過程で、気持ちが楽に
なると同時に、気づきが出てくる。文章は何度も推敲を重ねるうちに気づきで、
新たな考えが出る。受けた傷は残るが、与えた傷は気づかないか、直ぐ忘れる。
それが書き換えているうちに、気づいてくる。この文章を書くにあたって、
当時の文章を読み返しているが、苦しい中で書いたためか、魂が篭っている。
これは私の財産。若い時分も、書いておけば良かった。いや、書いていたが、
何を血迷ったか全て捨ててしまった。後悔あとに立たず、である。
 以下に当時の目次をコピーしたが、一つずつが心の記録である。  
2011年04月17日(日) 3674, 自己を見つめる−2                     
2011年04月16日(土)  3673, 自己を見つめる−1   
2011年04月15日(金)  3672, 節目どきに ー7           
2011年04月14日(木)  3671, 節目どきに ー6             
2011年04月13日(水)  3670, 節目どきに ー5           

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01月12日(月)
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