ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4916,一度、死んでみましたが
『一度、死んでみましたが』神足 裕司著
* 重介護5のスーパー闘病記
平々凡々の日々を当たり前のように過ごしているが、実は、これが最上であることに気づくのは、
失ってから! あと一年余りで、平均すると同年齢の男の過半数は介護生活、5年後には寝たきりに、
10年は死んでしまう。 TVや、西原の漫画に度たび出ていた神足裕司を、この数年見かけなかった。
実は三年前にくも膜下出血で倒れ、重介護度5でリハビリ生活の中、去年の12月に、不自由な
ベッドで書いた『一度、死んでみましたが』というスーパー闘病エッセーを出していた。
コラムニスト復帰の第一弾の本を、偶然、図書館で見つけ、借りてきた。
脳の大手術で、現在も殆ど動くことができず、寝たきり。ここで、介護、寝たきりとか、言っているが、
この書を読むと、さほど遠くない未来に似たような事態になる可能性が十分にある。50歳半ばから
還暦辺りにかけて、友人、知人が次々と、半身不随になったり、癌で死んでいるが、どれもこれも、
最期は壮絶な状態。これは、その実況中継のような闘病エッセーで、ベッドの中の苦闘が、
そのまま伝わってくる。 本の題名が『スーパー闘病エッセー! 一度、死んで見ましたが』
HONZ http://honz.jp/36901 の書評が、要点の7〜8割は押さえている。
「その時から、それまで生きてきた一生分を生きることになる」と言うが、そう信じさせられる内容。
ーアマゾンのレビューの、息子さんのレビューより
≪ はじめに、家族という立場にあるものからのレビューであることをお許しいただきたい。
本が手元に届いてからも、私はなかなか本を開く気になれなかった。怖かったのだ。
父の、つまりはこの本の筆者の状態はもちろん百%ではない。ページを繰っていけば、
彼がこれまで積み上げてきたものが、私の前に立ちはだかる者としての彼が、崩れ去ってしまう
のではないか、そんな恐れを抱いていた。杞憂だった。そこにあったのは、私にはとても紡ぎ
出せない「凄み」のある言葉の数々。いや、もしかしたらこれは、以前の筆者にも書けなかった
のかもしれない。薀蓄をちりばめ、変幻自在の修飾語を用いながら、ページを埋め尽くす
のが豊穣な表現だとするならば、この本はそれには当たらないかもしれない。
むしろ、そのような表現は全てが余白へと沈み、筆者にとっての瞬間の全てがこめられている。
少なくとも筆者の生きる「世界」において、その瞬間、それ以外の表現はあり得なかったのだろう。
切り詰められた音の数。他の人が弾いたら、ミスタッチだと思われかねないフレーズ。
彼の憧れたジャズピアニストを思い出す、なんていったら笑われるだろうか。
・・・ 病気は誰にでも訪れうることだ。「病気」とはなんなのか、「家族」とは「友人」とは、
そして「生きること」とは何か。誰しも考えたことのあるテーマについて、文章を書いている
その瞬間の筆者にとっての虚飾のない、研ぎ澄まされた言葉が胸に迫ってくる。深刻なテーマに
思われながら、どこかにおかしみを含んでいるのは筆者のコラムニスト魂だろうか。
くも膜下出血、高次脳機能障害の患者・家族の方はもちろん、今立ち止まって
「これから」について考えたい方には、ぜひお勧めしたい一冊です。 ≫
▼ こうなるか、癌で壮絶死をむかえるか、今の私に出来ることは、日々を味わうしかない。
どのみち、少し早いか遅いだけ。それでも奥さんが優しい人のようだが・・ 本人は、このスーパー
闘病記を、自分の愛読者に読んでもらうことが、慰めのようだ。
私のエッセイ『事業人生を決心して・・』の続編として「その後、脳溢血で倒れてと、
この事態になった」と吾が身に例えて読むと、他人事でない内容である。
・・・・・・
4549, 六韜三略
2013年08月30日(金)
学生時代に、守屋 洋著『六韜三略』と海音寺潮五郎著『孫子』を読んだ時の面白さと驚きは
今でも憶えている。純朴で、欲と欲の争いに立たされる前の学生時代に読んでいたため、社会に
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08月30日(土)
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