ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5775,閑話小題 〜あと10日で71歳
いるようだ。私の事業が、大津波(金融恐慌)で儚く流されても、後悔も、
未練も少ない。万一の手立てをしていたことがあるが、経済的震災に遭遇した
事に、後悔も愚痴も無駄、を知っているからだ。しかし、そこには、心理的
免疫システムが働いていたようだ。 ーその辺りを抜粋してみる
  * 前向きに過去をみる ー心理的免疫システム
≪ 我々は、過去に手痛い大失敗や、失恋を、「これまでの人生で最良の
 出来事か」か、「人生最悪の出来事か」と表現するかと尋ねたら、最悪より
最良を支持する人のほうが多いだろう。逆に、その経験をしてない人に、この
質問をしたら誰一人として失敗や失恋を上げない。失敗や、失恋は過去の出来事
として見るとき、実際よりバラ色にみえる。人間の脳は、それほど酷くない
理由を探し始めるように出来ている。これを心理的免疫システムという。 
我々は自分の脳の変化の過程を自覚しないため、見方が変わるなど考えない。
そのため未来の感情の予測が難しくなる。これを知らなかったために将来にも
同じことを繰り返す。ところで人は、行為より不行為を強く後悔するのだろう。
それは心理的免疫システムは、行動しなかったことには働きようがないからだ。
プロポーズして振られても、そこから多くを学ぶことが出来たとしても、何も
しないと、学んだり出来ない。心理システムにとって行き過ぎた勇気の方が、
行き過ぎた臆病さより正当化しやすいからだ。それを我々は分かってない。
その時、つまずきながら前に進むべきときに、両面作戦に出てしまう。 ≫
▼ 天風の積極一貫の信念で何事にも前向きに立ち向かうべきということ。
 手痛い失敗も、しない失敗より良い。事業についても同じ。
‘ああ、面白かった!’ただ、それだけ。 その辺りが、傍で不幸と
決めつけている人との違い。ところで、日本人は幸せなど正面だって使って
なかった。明治以降に、ハピネスあたりの当て語として使われた。
  それらしき言葉で、「良いめぐりあわせ」といった程度のもの。 
幸福とは個人的な心情だが、儒教的考えでは、そういう考え方とあわない。
それに対し欧米人は、個人主義が強いこともあり、臆面なく「幸福」を論じる。
  幸せも、妄想でしかないという視点でみると、分かりやすい。
幸せだったと思えば幸せ、不幸だったと思えば不幸である。それなら幸せ
だったと思えばよい。所詮、全てが妄想。それでも、幸せと思えない? 
それこそが貴方のバイアスである。

01月06日(金)
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