ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5587,幸福の条件とは 〜①
おねだりしてももらえないというときの感情です。まだ相手の愛を求めています。
赤ちゃんが「オギャー」と泣いて、お母さんのおっぱいの必要を示す。
これを「怒り(アンガー」と言います。そこに「羨望」が入ってきます。
これは相手が持っているものを、本来自身が持つべき、とその人から取り
上げたくなる感情。「エンヴィー」という言葉の由来は、「横目で睨む」です。
つまり、人の持ち物を睨む。それを取り上げたいという感情。怒りに羨望が
絡んでくると「憎しみ」になります。「嫉妬」というのは男女の関係で、
自分の持っている人をとられるのでないかという焦燥、怒り、不安の複合した
感情です。 取られることを恐る感情、取ろうとするのも憎む感情です。
ここにも「憎しみ」があるわけですが、男女関係が絡まないエンヴィーとは
区別されます。 嫉妬は人聞関係を破壊しません。むしろ人間関係を破壊される
ことを恐れる感情ですが、憎しみ、憎悪は人間関係の破壊に結びつきます。
もう一度、赤ちゃんとお母さんの関係で考えてみると「おっばいが欲しいのに
もらえない」というときに発生する感情はアンガー。お母さんはいいもの
(おっぱい)を持っていて、弟だの妹だのがどんどん出てくるお母さんが持って
いるものをみんな自分のものにしたいと思ったら、これはエンヴィーになります。
 ですから、愛情というのは考えてみるとかなり厄介なもので、一つ間違えると
怒りに、もっと間違えると憎悪に転換します。そういう「関係」に身を置くのが
厄介だと思うと、逃亡心が生まれてくる。こんな面倒な関係からは離れたくなる
こともあるでしょう。昔の東洋人の思想の中には、そういう面倒な関係が嫌だ
というものがありますね。 いろいろな欲望や感情が渦まいた俗世から離れて、
仙人のように淡々と生きる生き方に憧れるというものです。それをやるとなると、
どこかで線を引いて、人間関係からリタイアすることを考えなければなりません。
あれこれ面倒なことがあるうちは、山の中で仙人のように暮らすことに憧れる
かもしれませんが、いざ本当に離れたところで一人暮らすとなったら、
今度は記憶の中の人間関係にわずらわされることになる。 
人間は人の中でしか生きるしかないのです。】
▼ 大人数の兄姉の中で、私が両親の住んでいた実家に住みついて家屋敷
 などを引き継いだため多くの葛藤があったのが世の倣い。「怒り」×「羨望」
=「憎しみ」は肌で嫌というほど感じ取ってきた。私も家内も愛情を限りなく
受けてきたが、逆の与え方は上手くない。「自分」というものは、自分一人の
閉鎖系で成り立っているより、人との「関係」として成り立っていると著者は強調。
 「愛」というのは、そういう関係性を言っている。 だから、年齢を重ねるほど
人間関係は丁寧に扱わなければ。「ピーク、エンドの法則」がある。 
記憶は、ピーク時と、終わりが引き立ってくる。その数パーセントで、8割
以上の記憶を決まる。ドロドロの経験が少ない人は、その辺の構えが甘くなる。 
心の奥の沼に大切な人生経験をマイナーにして落とし込んでしまう。

07月02日(土)
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