ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5562,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜④
分野で文章を綴っている人々にぶつけ、二十一名からの回答を載せている。
詩人の谷川俊太郎氏の回答の一部を紹介すると、「人生にあるのは意味では
なく味わいだと私は思っているのですが、言葉で言うとどうも据わりが悪い。
禅問答ではありませんが、答えは「……とでも言うしかありません」となって
いて、なるほど味わいという言い方があったなあと感心させられた。
老いることには、当たり前の日常に備わった微妙な味わいを理解できる
ようになるといった効用があるのではないかと漠然と考えていた。
* 幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、
楽しいこと、満足感を得ることーそのような躍動的で高揚感をもたらす事象
との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、ある人にとっては十分に
喜ばしく感じられる出来事が別な人にはむしろ物足らなさや悔しさを惹起する
ことなどいくらでもある(たとえば優勝ではなくて二等賞に甘んじたとき)。
こうしたことも、歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを告げる
日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、窓の向こう
に見える教会の屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とがまったく同じ
赤であったことに今さらながら気付いた軽い驚きであるとか、学生時代に読んだ
小説を再読してやっとその素晴らしさを悟った喜びとか、そういったもので
十分に幸福の文脈を形成し得るに違いない。ガッツポーズをしたくなるような
晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を感じ取ることができる。
・・だがどうもわたしの世代に近いほど、歳を取っても貧欲というか大人げない
というか、若さの尻尾を引きずっているというか、往生際が悪い。
年寄りではなく、中古品の若者や古ぼけた中年としか見えない。歳を経たが
ゆえの味わいを楽しめずにいる。それがために、不満や不全感ばかりが募る。≫
▼ 老人の殆どが老人性鬱症であり、20人に一人が鬱病患者。
また80歳を超えると4人に一人が認知症になる厳しい現実がある。
それより、私の年代で、既に4〜5人に一人が亡くなっている。おうおうに
早死した人は、「人生として恵まれてない人」として思われる。
とはいえ、生き残った人に待ち受けているのは煉獄の中のような日々。
それが必要な人がいる。地獄は娑婆にある。
06月07日(火)
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