ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5561,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜③
とは程遠い姿である。次の文章は、高度成長期を竜宮城と見立てた
団塊世代を浦島とみるとよい。
≪ 【浜辺の煙】 浦島太郎の昔話は、なかなか不気味な物語である。
 竜宮城の快楽の日々はともかくとして、浜辺に戻ってきたら様子がおかしい。
家々の住まいも景色も微妙に変わり、知っている人は誰もいない。わずか数日を
竜宮城で過ごしただけだった筈なのに、驚くほどの年月が故郷では経過していた。
太郎はすっかり世の流れに取残され、強烈な違和感と孤独感とを味わうことになる。
さらに二段構えの不幸として、玉手箱の煙で太郎は老いさらばえてしまう。 
故郷へ帰った浦島太郎を、現代における「老い」のアナロジーとしてみるとどうで
あろうか。孤独死だとか家族の崩壊、地縁血縁の希薄化といった問題はある一方、
今や「老い方」を知らない世代が雪崩を打って老いに突入しようとしている。
エレガントな、ナチュラルな、さりげない老いの作法や見当すらつかないものの、
それこそ数を頼んでどさくさまぎれに「これが今どきの老人だ!」とばかりに、
賑やかに事態を乗り切ってしまえそうな気もするのである。
ストーンズだってとっくに六十歳を過ぎてるぜ、といった調子で。つまり老いに
孤独や寂蓼感はつきものだけれども、考えようによっては、結構アナーキーな
ノリで老年期に身を投じられるのではないか。そんな妙に楽観的な気分もどこか
心の中に居座っているのである。だから独りで浜辺に停む浦島太郎のイメージに
我々自身は重ならずに済むかもしれない。その一方、玉手箱の恐怖の方が我々
にはリアルではないか。玉手箱なんか開けなければいいといった話ではあるまい。
生理的な老化のみならず、諦めや気落ちや悲しみや絶望が、玉手箱の煙となって
我々を老け込ませる。アンチ・エイジングなどと称して誤魔化そうとしても、
玉手箱の煙は我々の心の中にまで染み込んでくるだろう。 ≫
▼ 浦島太郎の教訓は、時代の現象に浮かれ、飲めや歌えで生きてきた人が、
 何かのキッカケで自分の老いに気づかされ、周囲を見渡すと若いときの友人は
亡くなっていて、独り残されていた現実に呆然とする、ということ。
あの玉手箱と、ケムリは何の例えだろうか。玉手箱は、それまで生きてきた
時空での行蔵、煙は時間?だろうか。 

06月06日(月)
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