ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5540,ドーキングスのセックス機械論
の本質を同定し分かりやすく書いている。なるほど、人は心情的に多くの金を
持ちたがるはずである。とはいえ、それは心情である。傍に迷惑をかけない
範囲で、自分の好きなことに時間をかけて使うべきである。通帳にあるのは
単なる数字の羅列。その辺りの知識がないと必ず後悔する、それが人生である。
ーまずは抜粋ー
≪ 一方、お金はどうか。人は物やサービスという実体を消費し、生活している。
経済は、それらを効率よく手に入れるため発達してきた。多種多様な物欲と技能
を持つ人びとが、それぞれの能力を最大限発揮して、生活を物的に豊かにする
ためには、自分の得意な物を作って、他人が得意とする生産物と交換すればよい。
それによって、自給自足では望めなかった生活永準を実現することができる。
そのための交換の場が市場であり、お金は交換手段として生まれ発達してきた。
物々交換では自分の欲しい物を相手が持っているとともに、自分も相手の
欲しい物を持っていなければならない。経済学で言う、交換における「欲望の
二重の一致」である。このとき、誰でも普遍的に欲しがる物があれば、交換手段
として最適である。二重の一致が一重で済むようになり、いつでも自分の欲しい
物と交換できるからである。そのため、宗教が雷や山から始まったように、
お金もはじめは、それ自体が安定した実用価値を持つ米や金銀などであった。
しかし、交換機能だけを考えれば実用価値などいらず、信用だけで十分である。
持ち運びや保管には、かえって実体として機能は邪魔になる。 そのため、
金銀の代わりに大銀行の金銀預り証が紙幣としての役割を持ち始め、20世紀
に入ってからは金銀との交換性とも切り離されて、純粋に交換手段の不換紙幣が
定着した。しかし何の価値のない紙幣を流通させるのに、信じ込ませることが
必要である。それが信用である。≫
▼ 金も、社会的価値として信用出来るから流通するのである。
それ(交換手段としていた金)が、いつの間にか、将来の不安を解消する
手段にすり替わってしまっていることに人は気づかない。金は使うべき時に
使うのが道理ということ。 何で人は、お金を残して死ぬのだろう?
死後に残された金は、あくまで死の不安の遺物。しかし交換手段の額が
大きいほど、自由になる幅が広くなることは確か。が、それも幻想。
やりたいことをするのが自由である。何がしたのかをハッキリさせて使って
こそ金(自由)の効用が生きてくる。 貯めたは貯めたで、金に未練を持った
まま死んでいく。つくづく、人間は頭が変である。自分の好きなことをして
行蔵として残せばよいものを。100億円遺した人と、100億円使い果た
した人と、どちらが面白かったかをみれば分かること。
人間両手に持てるのは2千万まで!
05月16日(月)
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