ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5522,若者よ、外に出よ! ー① ピラミッドという衝撃を体験しろ  
私の出身校の「長岡高校」の校是が「和同」の精神である。 和して同ぜず。 
和せ、同じになるな!である。これは、それぞれが孤独を守る中から生じる。
ここで孤独について、ニーチェの体験を指摘している。 孤独の素晴らしさを
「私の故郷」の良さに譬えているのは言いえて妙。
  ーまずは、その部分をー
【 ー孤独の大切さー ニーチェはかつて、孤独を「私の故郷」と呼んで、
 その至福にみちた優しさを讃えた。孤独が終わるところ、そこに「市場」
が始まり、世間の大人物や大俳優たちの騒々しさが耳を圧し、毒をもった
蝿たちのうなりが聞こえ、小人物たちの刺が私たちを突き刺す。そうした
騒がしい市場を離れ、海辺に出て、高い品位をもって沈黙し、岩陰にそびえ
立つ大きな樹木を見よう、とニーチェは誘う。その樹木のように、静かに耳を
澄ましながら、存在の声を聞こう、とニーチェは促す。そのとき、ニーチェは、
「孤独」の素晴らしさを、「私の故郷」と呼んで、その声が、なんと優しく、
また至福にみちて、自分に語りかけてくるか、ということを打ち明ける。
ニーチェは、そのとき、あらゆる「存在」が、「言葉」となって自分に開かれ
てくると言い、存在の内奥の秘密を宿した言葉の小箱が、一気に開かれ、
ありとあらゆる生々流転が、その秘儀を語り始めようととするかのようだ。 
このニーチェの体験は、すべての人間の体験だと言ってよい。言い換えれば、
孤独とは、そこで私たちが本当の自分を取り戻し、改めて純粋に、自分自身と
世界の人間のすべてを見直し、存在の真相に触れ直す瞬間なのである。実際、
私たちは、物事のほんとうの姿が何であるのかをよく熟慮しようとするときは、
世間や俗事の雑音を一旦は遮断しなければならないことをよく心得ている。
たとえば、他の人々と大勢で、がやがやわいわい騒いでいるときには、
私たちは、ほんとうに自分らしく純粋に物事を見直し、考え直し、正しく
事態を把握する余裕や冷静さを持つことができない。 人間は、それほど
までに非力なのである。 】
▼ 世間や俗事の雑音を一旦、遮断するため孤独になるために、古典などの
 世界に浸ることが最も手短である。それか、一度自分の住んでいるところ
から外に出て、純粋に物事を考え直し、冷静さを保つことが必要である。
宇宙の塵でしかない己を自覚すること、しかし、その塵の素晴らしい存在
である一度だけの人生を自覚するためにも。 

04月28日(木)
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