ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[384211hit]
■5483,閑話小題 〜51回の海外ツアーで
先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。
十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、ポンペイの街の記憶と
TVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。
ーまずはポンペイの概略を書いてみる
ナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。
古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、
パクス・ロマーナ期の繁栄ぶりはめざましいものがあった。
当時の人口は2万。公共施設が次々と建てられ、建物の構えは
ローマにひけをとらないほどだった。
悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。
ヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。
大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。
きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、三日三晩、火山灰と
火山弾が降り注ぎ、泥流は火口をあふれ出し、町を襲った。
ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、噴火の翌日までにその灰
の深さは5〜7mにも達した。屋根の損壊や有毒ガスによる窒息に
よる犠牲者の数は人口の1割にあたる2000人と考えられている。
そこには火砕流でタイムカプセルのように、当時の生活が残されていた。
遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった生々しい
遺体の像が幾つかあった。お金を握った者や、妊婦や、奴隷、子供、
犬など様々だ。街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップ
アウトしたようになるほど、リアルに当時の生活が残っていたことだ。
残っていた住宅の壁画などから見て、「性」に対して非常に大らかで
あったようだ。女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。
幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、売春宿などが
通りに並んでいる。売春の値段まで残っていた。今でいうと、コーヒー
一杯分位だった。道路には轍の後がくっきりとあるし、十字路には歩道。
下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には広い集会場もあった。
今回のTVの特集で、全く知らないかった事実が多くあった。
街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された
遺体は1000でしかなかった。15000〜20000人の人口と推測されるから、
遺体の半分は発見されなかったとみても、9割の人が逃げ延びたのだ。
爆発から、この街に灰などが押し寄せるのに19時間の時間があった。
逃げられなかった理由が遺体の様子から、それぞれ想像できた。
ポンペイとヴェスヴィオス火山の反対側にエルポラーノの遺跡がある。
この遺跡は、18世紀にある農夫が井戸を掘っていて発見したというが、
その近くの港で、300人の人骨が発見されたという。その様子から
エルポラーノの市民が、そこに逃げてきて救助を待っていて、
亡くなってしまったと推測される。
遺跡も多く見てきたが、それぞれが当時の生活や、深い因縁を秘めている。
しかし、衣服や住宅や街の様子が、火山でそのままリアルに封印されて
残っているのは、この遺跡だけである。
そこより、うかがい知れるのは「変らぬ人間の営み」である。
世界は広く、そして深い!
・・・・・・
2004/09/21
1267, 書いてなかった旅行記ー2
カナダ旅行紀ー2
(字数制限のためカット 2016年3月20日)
03月20日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る