ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5458,遊びをせんと 〜遊びを哲学する ー①
これが、私の知っていた宇宙である。それが、気の遠くなる数の多くの
宇宙の一つというと、根本が変わってくる。
・・・・・・・
3622, お姥捨てるか裏山へ
2011年02月24日(木)
「日本の名著名言事典」より ー1
* お姥捨てるか裏山へ 「楢山節考」 深沢七郎著
ーまずウィキペディアの「あらすじ」からー
山に囲まれた信州のある村。今年も楢山の歌が歌いだされる季節になった。
村の年寄りは七十になると楢山まいりに行くのが習わし。六十九のおりんは
それを待っていた。息子の後妻も無事見つかって安心したし、山へ行く時の
支度はととのえてある。 済ませることはあともう一つ …。
−塩屋のおとりさん運がよい 山へ行く日にゃ雪が降る−
自分が行く時もきっと雪が降る…おりんはその日を待ち望む。
孝行息子の辰平は、お供で一緒に行くのだが、気が進まず元気がない。
しかし家計を考えて年明けも近い冬の夜、誰にも見られてはいけない
という決まりで背中に母を背負って楢山まいりへと出かけていく。
辛くてもそれが貧しい村の掟なのであった。ー以下の部分が凍りつくようである
―「日本の名著名言事典」紀田順一郎著より
「お姥捨てるか裏山へ 裏じゃ蟹でも這って来る 這って来たとて戸で入れぬ
蟹は夜泣くとりじゃない」 山深い村で昔、年寄りを裏山に捨てた因習がある。
或る時、老婆を捨てたところが這って帰ってきてしまったので、家の者たちは
「這って来た、這って来た、蟹のようだ」と騒いで戸をぴったりと締めて中へ
入れなかった。家の中では小さい子が蟹が本当に這つて来たのだと思い込んで
しまった。 老婆は一晩中、戸の外で泣いていた。その泣き声を聞いて子供が
「蟹が泣いている」と云ったのである。 家の者が「蟹じゃないよ。蟹は夜
泣いたりしないなよ、あれはとりが哺いているのだ」と子供などに話しても
わけがわからないので、そう云ってごまかしてしまったのである。
この村では、白米は年に一度の楢山祭の時や、重病人でなければ食べられない。
早くに嫁を貰うことは愚かなことで、それは少ない食料が減るからである。
「曾孫が生まれる」のは多産や早熟の者が続いているということで、嘲笑の対象。
老いても丈夫な歯を持っているのも恥ずべきで、食い意地が張っていて、浅ましい
と見做される。この村は七十になった老人は、裏の山へ捨てられる。息子が背板に
老いた親を乗せ楢山に登っていく時に一言も喋らず、後ろを振り返らないが山の掟。
▼ それほど遠くない時代に日本の山間部には、こういう風習があったようだ。
現在の日本は不況不況と騒いでいるが、実際に、こういう時代が来ないとは
いえないことを知らない。隣国の北朝鮮が、これに近い惨状といっても、現実
としては考えられない。それにしてもリアルである。都会などの餓死などの
孤独死があるが、楢山考と何処が違うのだろう。
02月24日(水)
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