ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5292,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー⑦
しなくてはならないだろうが、私としてはこれをカント哲学的な意昧に解釈
したいと思う。 ただし、その表象体系に含まれるカテゴリーが基本的に、
もしくは第一に言語という性質をもつとする点は認められない。考え方と
してはわかる。 わからないのは、そしてこれまで一度として理解できた
ためしがないのは、どうしてそんな考えを抱けるのかということだ。
というのも、それは私の直接の経験によって真っ向から否定されるように
感じるからである(この点に関して私が特殊であるとは思えない)。】
▼ 事業が、この結果(倒産)で終わった。総括は頭を冷やした来年早々にする
つもりだが、それが、この30年の構成の提示になる。創業10年、中間期
10年、最後の10年、そして最後に、どのような終わり方をしたか?、
その時の断面は、どうだったか。それを、どういう切口で分類し、評価するか。
30年、人生の事業生活の大部分を注ぎ込んだ、この結果は? 要は、倒産で
終わったということ。その視点を失うと、総括は不可能になる。炎上している
世界経済と、ネット社会の移行の中で日常が音を立てて変化している。
その中で、言語的分類の枠組みを立て直すことが、まず求められる。
「3つの震災が何もかも飲み込んだように見えるが、実は情報化の潮流に飲み
込まれたのが真の理由だったのか?」これも言語的分類。分類は分析の第一歩。
そのプロセスが総括。そこで価値(意味)を自ら下げることもない。
今までの価値観のコペルニクス的転換の時。ここの小テーマが「現実と経験と
言語は一緒ではない」である。 当然、この小テーマが問題になる。
「言語は、それを構成する」だけ。消滅してしまった事業の総括。
ただ、それだけだが・・あと講釈でしかない、だから冷静に見つめないと。
意思決定から45年である。
・・・・・・・
3455, 渥美俊一氏死去
2010年09月10日(金)
09月10日(木)
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