ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5251,二度の地球規模の大爆発 〜地球大進化46億年 ー②
《 「一言で言えば日本人は他律的な民族だということである。それは縄文から
続くわれわれの本性だったのだ。他律とは、(自分の意志によるのではなく、
他からの命令や束縛によって行動すること)であり、カントの用語によれば、
意志が理性の命令でなく、感性の自然的欲望によって規定されること、である。」
「すべて。そして誰かが操作している。このにほんじんの本性を、骨の髄まで
他律的であることを知っている誰かが、どこかの国が、どこかの民族が、
その欠点をたくみにつき、利用し、一層助長、推進させ、摂取し、操っている。
そして、これほど歴然としている数々の証拠実例を、なぜ人々は気づかないか?」》
ー著者の視点で人生を振り返ってみると、アメリカの属国としての
価値観を疑いもせず、あくせく生きてきただけ?になる。
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2009年07月31日(金)
3039,「自信を与えてくれた人」
何気なく見ていたブログに紹介してあった一文。世の中には心を打つ色いろな
出会いがあるもの。本人にとって何にも替えがたい自信になったろうし、前向き
にさせてくれる出会いである。ネットで調べたら、この人の漫画は何度も目にした
ことがあったが、軽妙な暖かい人物像を描いている。その「元気を与えてくれた人」
は、数寄屋橋の絵の中の何かに共振をしたのだろう。その絵に感動し十五年後に
買い求めた人と、その絵を見てみたいもの。
《 あれは今から二十年も前、私が二十二歳のときです。私は数寄屋橋で風景画
を描いていました。ええ、まだ数寄屋橋の下にはチャンと川が流れていたころ。
私の描いた油絵を、大勢の人が見て通るんですが一人だけ、三十分も一時間も
そばで見ている人がありました。そして最後に私の住所と氏名をきいたんです。
そのときはそれっきりでしたが、五年前にその人から手紙をもらいました。
「あなたは忘れているかもしれないが、私はあのとき住所をたずねたものです。
あのときとてもあなたの絵がほしかったのだが買えなかった。こんどようやく
家を新築したので、ぜひあのときの絵を売っていただきたい」そういう内容。
その頃のぼくの絵なんか売れっこありません。その絵はチャンとぼくの手もとに
あったんです。しかも、何度もぼくは住所を変わったんで、その人は苦労して
見つけてくれたに違いない。ぼくは感激しましたね。さっそくその人と
いっしょに〃ガクプチ〃を買いにいったりしました。》 ー鈴木義司
《鈴木義司=読売新聞の夕刊の4コママンガを描いている漫画家、
2004年7月17日午後2時45分に死去。享年75歳。むかしテレビ番組
「四コママンガ道場 お笑いマンガ道場」に出ていた》
▼ 享年が75歳で、この文章は42歳の時の文章とすると、亡くなる33年前の
1971年頃の文章になる。絵を描いていたのが、その20年前というから1951年
ということになる。岸恵子の『君の名は』が1953〜54年、その二年前に数寄屋橋
で絵を描いていたのである。 新築の家の絵に欲しいというところが良い。
この逸話の中から、それぞれの人生が浮き上がって見えてくる。
07月31日(金)
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