ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5181,アウシュビッツの回想
大根役者は,いかに輝かしい役を 演じてもさえない.
輝きこそが人生の幸福を決める.』
・『 人生の幸福は,どれだけ快楽を得たかではなく,
どれだけ感動を得たかによって決まる.』
・『 愛の喜びは,捕まえようとすると逃げていく.
愛を表現するときにのみ,それはやってくる.』
・『 自分を忘れ,仕事や人間に愛を傾ける人.そんな人にはすべてが
ひとりでにやってくる.成功も楽しみもである.』
・『 あなたがいるだけで世界は意味をもつし,生きている意味があると
思わせる人生こそ最高だ.』
・『 いくらすばらしい技術があっても人は癒せない.人間的な
触れ合いと愛の交流がなければ.』
−−
【それでも人生にイエスという (春秋社,V・E・フランクル)】
『 私たちが「生きる意味があるか」と問うのは,はじめから誤っているのです。
つまり,私たちは生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。
私たちは問われている存在なのです。私たちは,人生がたえずそのとき
そのときに出す問い,「人生の問い」に答えなければならない,
答えを出さなければならない存在なのです.
生きること自体,問われていることにほかなりません.』
『 生きるということは,ある意味義務であり,たったひとつの重大な
責務なのです.たしかに人生にはまたよろこびもありますが,そのよろこび
を得ようと努めることはできません..よろこびはおのずと湧くものなのです.
しあわせは,けっして目標ではないし,目標であってもならないし,
さらに目標であることもできません.それは結果にすぎないのです.』
『 私たちは,いつかは死ぬ存在です.私たちの人生は有限です.
私たちの時間は限られています.私たちの可能性は制約されています.
こういう事実のおかげで,そしてこういう事実だけのおかげで,そもそも,
なにかをやってみようと思ったり,なにかの可能性を生かしたり実現したり,
成就したり,時間を生かしたり充実させたりする意味があると思われるのです.
死とは,そういったことをするように強いるものなのです.ですから,
私たちの存在がまさに責任存在であるという裏には死があるのです.』
『人生に重みを与えているのは,ひとりひとりの人生が一回きりだという
ことだけではありません.一日一日,一時間一時間,一瞬一瞬が一回きりだと
いうことも,人生におそろしくもすばらしい責任の重みを負わせているのです.
その一回きりの要求が実現されなかった,いずれにしても実現されなかった
時間は,失われたのです.「永遠に」失われたのです.しかし逆に,
その瞬間の機会を生かして実現されたことは,またとない仕方で
拾われて現実になったのです.』
『 肉体がなくなってもなくならず,私たちが死んでもなくならないもの,
私たちの死後もこの世にのこるのは,人生のなかで実現されたことです.
それは私たちが死んでからもあとあとまで影響を及ぼすのです.』
・・・・・・
4816,尊厳死は必要か ー2
2014年05月22日(木)
<映画監督・周防正行>ー朝日新聞オピニオン〜耕論ーより
◆ 深く悩み納得するのが先 ―②
(字数制限のためカット 2015年5月22日)
05月22日(金)
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