ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5164,パレーシア 〜真実を語ること
へと、恋いこがれる熱情は、人間にとって本質的である。そうだとすれば、
欠如状態としての不幸と、充実状態としての幸福の二つは、人間を構成する
基本要因だということになる。】
ー「幸福は、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる桃源郷」は、
言いえてる。「幸福は不幸という現実を通して見つめられる幻影」である。
時代背景があるが、若い時には「自分は間違いなく幸福になるだろう」
という変な確信があった。 大かたの青春時代は決して幸せとは言えない
四苦八苦を過ごしている時期である。その頃の幸せの願望は祈りに近い感がした。
ところが人生の終盤に差し掛かってくると、幸せの願望も失せてしまい、死の不安
が立ち現れてくる。精一杯生きてきたのに、あの桃源郷の正体も見え隠れする。
先に逝った人たちの最期は、不幸に見えてしまう。老いが進み、死が現実問題
として迫ってきて、漠然とした不安が心を覆ってくる。その時に、過去の充実
していた時の思い出に逃避するしかなくなる。その時、人生を生きてきた通りの
老いと死が、自分を覆いつつむ。 これが自分の人生だったのかと!
・・・・・・・
3327, 偏差値導入が日本人を劇的に変えた
2010年05月05日(水)
「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) ー3
* 偏差値導入が日本人を劇的に変えた
大前健一は、改憲論者であると同時に新自由主義者である。
また「安保闘争以降の偏差値による選別教育が日本人の愚民を押しすすめる
結果になった」と主張。 偏差値による選別教育の年代とは 現在の40歳代
前半から20歳後半である。 ーまずは、その部分を抜粋してみるー
≪ 日本で、詰め込み教育、受験一辺倒教育、偏差値による選別教育が始った
のは1960年代後半の安保・大学紛争以後である。今から考えると、あそこが
分岐点。あの紛争で、政府は、過激な学生運動に非常に強い危機感を持った。
ここで、国民教育を民化政策に転換した。その象徴が「偏差値教育」である。
・・ 本来、人間の能力は自分で判断すべきである。自分のやりたいことは、
その判断に基づいて自分で決めること。ところが、日本の子供たちは、自分の
能力の判断をする大切な時期を偏差値に支配された世界で過ごすため、自分で
自分を判断する力をなくし、やりたいことも自分ではなく、偏差値で決めること
になってしまったのである。こうなると本人も偏差値による数字を先生に
言われることで‘予定調和’して、「自分はこの程度」と簡単に思ってしまう。
学校や塾で「この数値では、この学校は無理だ]と、繰り返し言われれば、
目標を上にあげることなぞ無理になる。これが、偏差値教育の持つ最大の弊害。
これは工業化社会の確立を目指す政府には非常に都合のよい政策である。
(字数制限のためカット 2015年5月05日)
05月05日(火)
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