ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5074,ツィッター、その雑念のゴミばこ 〜2
デルを目の当たり見せられたようだ。GMのローン会社GMAC・元ナンバー
2の人の語る内容がすざましい。GMと、販売会社と、GM子会社のGMACの
三社のシステムの構図は住宅サブプライムの自動車版。販売会社はGMACから、
ほぼ無審査で買い手にローンを組むように依頼されており、ホームレスにも
ローン付きでクルマを販売していたという。そのローンはGMACで各種債権と
混ぜて、格付けがAAAになるように加工され世界中にばら撒いていた。
(字数の関係でカット 12年02月04日)
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2008年02月04日(月)
2497, 無くてはならぬもの −5 YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
佐古純一郎著 「無くてはならぬもの」
* 何を信じて生きるのか ー不信の中の絆ー
この本の中で著者佐古純一郎はー「理解しあうことがあってはじめて
信じることができるのではなく、信じることができてはじめて、理解しあう
ことできるのである」と述べている。
P−164で、 人間が、犬と猫と根本的に違うのは、人間が人格的存在として
つくられたためである。そのことに、どこまで人間はめざめているのだろうか。
本能とか、社会における地位や身分とか、その他いろいろな点で人は千差万別
といえよう。しかしそんな差別は、実は何でもないことであり、人は神様から
つくられていることにおいて、まったく平等である。ー と述べている。
ところで、ここからは私の論になるが、信用を逆手にとって言葉を巧妙に操り、
人間の良心を悪用する輩が巷に闊歩している。それは巧妙であるが、所詮は
中・長期的に馬脚を現しているのである。 自分が騙していること自体に
気づかないから始末が悪い。その手法を一番してはいけない相手に対し巧妙に
仕掛けるのである。 それも、己の行為が騙しという意識がないから、
尚のこと始末が悪い。カントではないが、人間には良心が必要である。
宗教と倫理こそ信じるべき道標である。他人ごとでない自分自身のことでないか。
「これこそ愛」などと思いは、すべてが勝手な思い込みでしかないのである。
人を愛するなど簡単には出来はしないのである!だから親の愛こそ必要となる。
しかし愛は心だけではなく、力と知恵が必要となる。
以下は、当時の自分の気持ちの中で最も突き刺さった部分である。
P−183 じっさいは、私たちは善をしようと思う気持ちが切実であっても、
そういう自分の意思をそむいて悪をしてしまう。パウロはそのことを次のように
告白している、「自分は善をしようとする意志はあるが、それを行う力がない。
・・・私はなんと惨めな存在なのだろう。だれか、この死の体から、わたしを
救ってくれるだろう、」ほんとうに自分の善をなす力のないみじめさを、
このパウロのように、苦悶にまで深く掘り下げないのでないと、宗教の世界に
ふれるということはできないかもしれない。宗教などいらないという人は
毎日の生活のなかで、自分をごまかしているのではないか。自分には他人を
愛する力がないのだということに、みじめさを感じるほど、私たちは、真剣に
他人を愛しようとしただろうか。
▼ こういうことを先に気づくか、後で気づくか?人生は、口先だけでは後で
後悔の日々になる!青春時代の苦悶は、いや人生は、パウロの言葉に収れんする。
02月04日(水)
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