ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5031,ポジティブ・サイコロジー ー②
ショーペンハウアーのように値しないというなら、生きているだけ無駄として
捨ててかかるしかない。「生きるに値しないからこそ、価値あるものへ転換する
ことが人生である!」という情熱が湧いてくるか?それぞれの考え方がある。
私の場合は、もちろん『生きるに値する』であるが、どうも世の中、そうでも
ない人が多くいる。 生きるに値するかどうかは、その人の生きかたであり
「生きる意味を求めていけば、人生は生きるに値するのは当然」。
意味=価値であるから「人生に意味をもとめること=人生に価値をもとめること」
になり、「求めよ、さらば与えられん」のとおりの価値が出てくる。
「よく働き、よく学び、よく遊ぶこと、そして常に‘一歩日常から外に出る時間
を持つこと’。この4つのそれぞれに価値を見出し、冷静に掘り下げていくこと」
このことが「私の生きるの値する」。まあ、そんな難しいことを言わないでも、
「人生なんぞ『飯食て、糞して、死ぬだけ』じゃないか、 こんなもの!
生きるに値してもしなくとも、それが何ほどのもの。生前があり、生まれ、
そして生き、生前に戻るだけ、他に美味い酒を飲んで、上さんの顔を見て幸せと
思い、寝て、楽しい夢でもみて、仕事を楽しんで、人の価値など考えなければ、
それで最高ではないか!」でよいものを。 そこでだ、「お前さんの人生は生きる
に値した?」というと難しいから、「人生で元とった?」と近くの遊び人だった
不動産屋の親父(10年近く前に亡くなったが)に聞いたことがあった。
よくぞ聴いてくれたという顔をして(´ー`)y-~「とったとった十二分にとった!」
という返事。同じ質問を呆けて亡くなる前の母親に同じ頃に聞いたところ、
やはり「充分すぎるほどとりました!」との返事。「生きるに値するか」と、
「生きた元をとったか」は確かに違う! しかし、「生きるに値するか」の
質問よりも人生の価値を考える時に深い問いになる。 人生の元をとったか?は
ー充分人生を生きたか?と同じ。ショウペンハウアーは、人生は生きるに値しない
という嫌世家だが、その慰めは芸術で一時期でも紛らわせることができるとした。
このような難しい問題を気楽に扱うこと自体に問題がある。答えなどある訳がない
のも解っている。しかし、これは生涯自問自答していかなければならない問題。
しかし、あと三ヶ月の命と宣言され逃れようもない事態に追い込まれて
「貴方の人生、生きるに値したのですか?」と、あと一週間で間違いなく死ぬ人に
問われたら、真実どう思うだろうか?「 」しかないないだろ(^3)〜♪
《 生きる価値があるかって?「真剣に生きてきた事実の前にそんな愚問は質問に
値しない!クソして寝ろ!この馬鹿野朗!!」というのが、私の現在の答えである。
《本当か?本当にそんなことが、いえるのか? 》
《たいして真剣に生きてこない御前に相応しくない》と、心奥の声が聞こえてくる!
12月23日(火)
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