ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[384532hit]
■6916,閑話小題 〜新型コロナの現状と、行方は? 〜3
それぞれ2〜3回はみている。マニアックほどでもないが、同年代からしたら
多いはず。アウトサイダーの生き方に同調するが、何か許されてしまう甘えも
自分をみているようである。
〜ネット検索で調べると、
《 テキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、何かの拍子
に故郷の葛飾柴又に戻ってきては、何かと大騒動を起こす人情喜劇シリーズ。
毎回、旅先で出会った「マドンナ」に惚れつつも、失恋するか身を引くかして
成就しない寅次郎の恋愛模様を、日本各地の美しい風景を背景に描く。
主人公の名前から、作品自体も「寅さん」と呼ばれることがある。》
《 松竹によって1969年(昭和44年)から1995年(平成7年)までに全48作が、
1997年(平成9年)に特別編1本が製作された。渥美の死去により、1995年に
公開された第48作『寅次郎紅の花』をもって幕を閉じた。 》
《 参道の中ほどに一軒のだんご屋がある。「とらや」を名乗っている。
当初は「柴又屋」といった。のれん、売り台、立看板などを持ち込んで店の
中から表の参道向きのカットを撮った。年に二回も撮影があるんだからと
気安く、大きく重い売り台を小道具係が置いてきた。店でも便利なので
そのまま使っていた。売り台の正面に「とらや」と出ているので、通りすがり
の参詣客が「あら、ここが映画の『とらや』よ」。そこで、店では、だんごの
売り台を中央に据え、屋根看板も「柴又屋」から「とらや」に変えてしまった。
宣伝部が抗議を申し入れたが、店側は柳に風。とうとう我々が我慢できず、
次の作品から「とらや」から「くるまや」に屋号を変えた。》
――
大家: 八つぁんが、<寅のマドンナ役への想いが「恋」の典型だ>という
言説が単純明快で解りやすいんで、改めて話を聞かせて貰うよ。 、
八つぁん: 前回、ふと思いついたが、言われてみりゃあ、いい着眼点だね。
思春期そのままの寅さんのマドンナへの憧れが「恋」。「トラ屋」の親族
の面々の互いの思いやりが「愛」で、その織りなす絵柄が物語とね。
大家: よくよく見ていると、物語の奥には仏教思想が流れている。
『空即是色』だよ。俗世の欲やシガラミから解き放されて自由気ままに
旅する姿に、男のロマンの物語。 私の好きな寅さんの口上に、
【"ああ生まれてきて良かった、そう思うことが何べんかあるだろう。
そのために生きてんじゃねえか。" 】がある。
八つぁん: 高度成長時代で地方から都会に移り住み、日常に忙殺され、ふと
田舎の家族を懐かしむ人たちへの温もりを提供した映画。 私が大学を
卒業をして6〜7年、地方都市(四日市、神戸、千葉、金沢)を転々として
いた時に、上映すると、必ず見に行っていた映画。 思い出深いのが、
卒業の翌年、四日市で、みた第3作 (昭和45年1月) …
<オジちゃん、おばさん夫婦が、三重県の湯の山温泉へ旅行に行くと、なんと
旅館で寅さんが番頭をしていた。旅館の美人女将・志津(新珠三千代)に
一目惚れして、居着いてしまったという物語。>
湯の山温泉は、寄宿していた四日市近郊もあり、生々しい感覚があった。
大家: 御前さんも、色いろあったんだ。
八つぁん: キツカッタ時節だった。よく潰れなかったのが不思議なくらい。
でもさ、20,30歳代は、誰も多かれ少なかれ一杯いっぱいだろう。その頃、
寅さんと自分の不安定な日々が重ねってね。涙して見ていましたよ。
一番辛い時こそ、一番、良いことが足下に埋まっていたね。とにかく、
自分で事業のネタを探し、独りで、コツコツ固めていくのは、それは大変。
事業構想の絵図を何も手掛かりも曖昧の中で模索するのは、簡単ではない。
「マドンナ」への思いを横にスライドして、「事業構想」を求めるのはね。
朧げな絵柄をイメージし、構想するし、単独で実践する行為は、孤独業
そのもの。五円玉の真中に穴が開いている。その、ど真中の穴を凝視して、
その先に何やしらのヒントを探す日々。そこに得体のしれないエネルギが
[5]続きを読む
02月20日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る