ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6852,BS世界のドキュメンタリー「遊びの科学」
何でも遊びの対象にした「遊び心」を。
純真の心を失っているからだ。
「純真な遊び心」をいつの間にか忘れてしまった。
「遊んでないで、笑ってないで、もっと真面目にやれ!」
と暗示をかけられてないか?
私の趣味の一つにウオーキングある。
初めは腰痛対策であった。今は大事な趣味ー遊びになっている。
純真に楽しいーヽ(^o^)丿のである。
その中に純真な遊び心が躍動を始める。何々のためにといった
場合は、遊びでなくなる。それを乗り越え、純真な遊び心に
なった時点で「遊びに昇華」する。
パソコンもそうだ、このホームページもそうだ。
そこまで持ち上げる必要性を人生で学んだ。
「遊びになるまで集中する」という事か。
さあ… 散歩だ!
ーーーー
2002/01/05
一人遊び
孤独に強い人とは、一人遊びができるかどうかにある。
一人で楽しみを見つけ・・・、書いていて気がついた、
それって「お宅」でないか。似ているがやはり違う。
それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのでは?
結局中途半端のそれをいうのではないか?
字のとおり、部屋に引きこもって自分の殻にこもった状態をいう。
山登りや釣りはやらないが、これなど一人遊びの典型である。
別にそれをお宅といわない。読書好きの人もお宅といわない。
自分の強みは孤独に強いことだ。人に何かを求めないこと、求めても
そこに何もないことを、経験上知っているためだ。
結局人間最後は一人だ。そこでボールを一人でバウンドさせていくしかない。
そうしていれば、人が面白そうと自然に寄ってくるものだ。
「禅」とは、その修行によって、字のごとく、単(一人)を示すことだ「示単」。
これはある有名な禅僧から直接聞いたことだ。そこで自分の好きのことを見つけ、
それを楽しむことから始めなくてはならない。その積み重ねが個性を作る。
個性は孤独がつくる。 ノイローゼになる人をみていると、これができない。
常に他者に何かを求めるか、頼っているからだ。
・・・・・・
2018/04/05
閑話小題 〜遊びについての断章
<「群れるな」寺山修二著>
昨日、「加山雄三とヨット」のテーマで遊びについて書いたが、手元に
図書館から借りて積上げてある10冊の本の中に、『遊びについての断章』が
あった。これまで「遊び」について繰返しテーマにしてきた。
「遊べるうちに遊んできなさい! 直、泣くときが来るんだから!」と
諭され、数十年が経つ。確かに切ない場面が多々、あったが、その数倍、
数十倍、楽しいことがあったのが実感。遊びの価値を両親の後ろ姿に
学んだことに加え、学生時代に味わっていたこともある。
――
* 『遊びについての断章』
ー人生は遊びながら年老いて行く―
‘JRA’のCMのために書いた原稿。
実際に使われたものはこれからの抜粋である。このCMのなかでの寺山は
得意の肩かけコートで町をあるき、府中のスタンドをバックにたたずむ。
その後ろであの独特の語り口でこの断片を朗読していた。
――
かもめは飛びながら歌をおぼえ
人生は遊びながら年老いてゆく
*
遊びはもうひとつの人生である
そこにはめぐり逢いも別れもある
人は遊びのなかであることを思い出し、あることを忘れ、
そしてあることを捨てる
*
人はだれでも
遊びという名の劇場をもつことができる
悲劇 喜劇 活劇 メロドラマ
そこで人は主役になり、同時に観客になることもできる
*
ぼくは人力飛行にあこがれていました
飛行機はただの道具にすぎなかったが、飛ぶことは思想でした
ぼくあ大空を見あげて思いました
プライバシーなんかいらない
フライバシーがほしい、と
遊ぶことは 冒険することであり、
ためすことであり、知ることだったのです
ぼくは「運の悪い女」がきらいです
なぜなら「運の悪い女」には、人生が一つしかないからです
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12月18日(水)
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