ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6264,閑話小題 〜世間話のでき方 −2
◎『自己に対する何という無礼だ、その決心をした時より今の自分の方が利ロ
だと、どうして思うのか。』スタンダール「パルムの僧院」これぞ言葉の中の
言葉だ、これほどにひとを励まし、自己への忠誠を元気づける言葉を、ぼくは
ほかに知らない。武蔵の箴言はいささか道学者くさいが、ここには自己であること
の純粋なよろこびがある。・・これはスタンダールの全作品に鳴りわたる言葉。
◎ ースタンダールはそのすぐ前で公爵夫人の性格についてもこう言っている。
公爵夫人の性格には二つの特徴があった。彼女は一度欲したことは
あくまでも欲した。また一度きめたことはけっして論議しなかった。
◎ ー彼女は偶然にまかせ、そのときどきの快楽のために行動してきた。
しかしどんな行動に身を委ねる場合でも、断乎として行なった。あとで冷静に
返っても、けっして自分を非難しなかった。まして後悔しなかった。自己に
たいする忠誠とはかくのごときものであるかと若い日に讃嘆させられて以来、
これらの言葉はそのときどきにつねにある内耳器官のごときものとなって、
ぼくを導いてきた小説の主人公ではないか、とバカにしてはいけない。 ≫
▼ 小林秀雄に「無私の精神」という文章がある。実践家は、自我を押し通す人
と思いがちだが、実は無私の人である。彼は無私に徹しなければ物事は成就
しないことを知っている。極限に立ってきた人は後悔などしない。そこで自分を
押し殺し、己を抑えるほど物事は大きく成就してきたことを知っているからだ。
後悔は、実践の中では後々、害になることもである。
・・・・・・
5167,閑話小題 〜心は科学者か弁護士か 〜�
2015年05月08日(金)
* 私たちの心は「判事」や「科学者」ではなく「弁護士」を雇っている
ネット検索で、「科学者」「弁護士」と入力したら、以下の内容が出てきた。
心の内なる弁護士は、時にご主人様のため、盲目になってしまい暴走、歯止め
がきかなくなる。そこで、科学者や判事も同じ力量を置かないと、極端の個人
主義者になってしまう。 〜まずは、その辺りを抜粋〜
≪ この世に産れ落ちるあなたに、神様から
「二つの人生のどちらかを選択しなさい」と言われる。どちらを選ぶ?
�生涯究極の正直者を貫き通すが、ならず者だと思われる。
�常習的な嘘つきなのに、模範的な人物と見なされる。
「徳が高く見えるか?」「実際そうであるか?」は、このように大きな違いだ。
現実として、皆、どちらを選んで生まれただろう? 哲学者グラウコンのように、
大抵「人々は現実よりも見かけや評判に、より大きな注意を払う」 これは長い
歴史の中で、私たち先祖が生存競争に勝利するにあたり、真実と名声のどちら
が重要だったと考えたかを表している。人は人の見えないところでは、正直
とは言えない。少数の腐ったリンゴが倫理社会をダメにしているわけではなく、
人々の大多数がほんの少しずつズルをするからこそ、この世界は危いと言える。
おまけに、始末が悪いというか、ほとんどの人が自分の誠実さを疑わない。
つまり、自分がした行為の正当化に恐ろしく長けているのだ。
私たちは心に「判事」や「科学者」を雇っているのではない。
私たちは心に「弁護士」を雇っているというのが、本当のところだ。
だからこそ、グラウゴンは言う。倫理的な社会を築くためには何が重要か?
「あらゆる人々の評判がつねに皆の目に入るようにし、不正な行為がつねに
悪い結果を生むようにすることだ」と。心の「弁護士」とは「思考」のこと。
思考の中心的な役割は、他人に対して説得的な理由や、いい訳を提示するための
準備を整え、振る舞えるようにすることだ。事実自分がした選択を正当化しよう
とするプロセスはきわめて強力なので、意思決定者は、何かを決めるに際して、
他人の説得のみならず、正しい選択をしたと自分を納得させるためにも有力な
理由を探そうとする。つまり私たちの中の優秀な弁護士は「自分自身をも説得
しようとする」のだ。道徳的な思考は科学者のような真理の探究より、政治家
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05月08日(火)
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