ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6238,閑話小題 〜金沢・富山バスツアー 〜2
(1) いままで気づかなかった自分に気がつきます。    
(2) 自分と集団の相互作用を体験的に理解します。
(3) 対人コミュニケーションのあり方を原理的に体得します。
(4) リーダーシップを体験的に学びます。
(5) 新しい建設的な動きや創造性が発揮できます。 》   
実はトレナー本人が、一番、学ぶことがあった。

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2014/06/01
「事業人生を決心して45年」の語り直しー5
   * 金沢百万石での経験
H 千葉の新興住宅地のド真ん中の交差点で何か事業を立ち上げるに、実社会の
経験不足はまだまだ不足。それと建設期限まで二年間半の期間があた。そこで、
何処かで厳しい修行の場に探し出したのが、当時、厳しい社員教育で知られていた
「いとはん」という衣料チェーン店で、北陸三県に10数軒を出店していた。
入社して知ったのが、西友と資本提携。そのため会社は大きく動揺している最中。
資本提携は、強者が弱者を生きたまま飲み込む残酷な実情であることを、当時の
社長を含めた役員はあまり理解してなかったようだった。
その上に、入社半年後にドルショックが起き、既存店の売上高が、大きく右下がり
に落ちていき、会社内は暗い空気に満ちていた。ジャスコ在職の時は、合併先への
新兵で乗り込む立場から、今度は逆の立場の占領される側の一兵卒である。
2〜3年後は辞めると分かっていても、プライドがボロボロ。その惨めさを、世の
サラリーマンが、多く経験しているはず。貧すれば鈍するとは、よく言ったもの。
何がどうであれ、弱者の立場には立たないこと。三年前の決断は、こういう経験が
あればこそ出来たこと。前向きで自ら崖っ淵に立つのは構わないが、後ろ向きの
踏んばりは、避けるべき!という体験を、早そうに知ることになった。社内は役員の
対立などあり、疑心暗鬼のルツボ。 
 当時の「いとはん」にとってのブラックスワン(思いもよらいない震災クラス
の事件)が、入社半年後に起きた、ドルショックと、大手スーパーの進出。
私が去った一年後に西友との提携解除、その一年後に、ジャスコと提携し、
北陸ジャスコに会社名が変わり、その後、本体に吸収合併をされていった。

I金沢は加賀百万石の城下町。その歴史の深い文化は、何ともいえないミニ
京都風の味わいがある。特に目を見張るような加賀美人が多く、表向きは男社会。
いっけん厳しそうな男女間は、非常に大らか。私の出身地の長岡藩では、幕末の
「お妾禁止令」があって、二号を持つのは、長岡では後ろ指を指される。
しかし、金沢では、勲章を意味していた。 また居酒屋やスナックも、何とも
いえない味わいのある店が多く、料理の味付けは京都風。鬱屈した会社内の空気
から開放されるに丁度良い環境でもあり、青春?真っ只中。
しかし、一日、二時間の読書習慣は何とか維持をしていた。

J 入社後4ヶ月間の配送センターを経験後、、武蔵ヶ辻店の靴下売場のあと、
子供服売場へと配置された。ジャスコも含め、多くの売場配転から学んだことは、
業種は、メーカー、問屋の販売経路別の店先でしかないこと。それを業態別の
再編成するのが、時の「流通革命」。靴も、洋服も、卵の販売も、商品の一つ
でしかなく、とらわれる必要がないこと。ここで、親しくさせて貰った取締役
部長の何気ない一言「自己能力の限界の設定」が、その後の事業立ち上げの教訓
になっていた。しかし、丁度なれてきた金沢の生活も、入社の一年4ヶ月後に、
突然、家からの一本の電話が入った。      ーつづく
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2005/06/29
1548, わたしの酒中日記−11
金沢−7
1972年7月20日

明日で、金沢を去る。
一番上の姉・正子さんから電話があり、京都に行く途中に金沢に寄るという。
そのため今夜、金沢で酒を飲むことになった。
片町から少し歩いた犀川大橋の先にある、ごり料理の有名店に行く。

「ごり」とは金沢を流れる浅野川などに生息するハゼのような川魚だが、
昔から金沢料理に使われる名物である。
川のほとりに建ち、「ごり」を中心にした加賀料理の店である。

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04月12日(木)
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