ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6218,閑話小題 〜「ディドロの後悔」
 こうすることで、頭の中で組み立てられた理論が、具体的な自己変革に
結びつく。これまでにも触れたように、これが瞑想の意味するものである。
 すなわち、これまでとは違う、新しい在り様に慣れ親しむことである。
瞑想を実践することで、親切、忍耐、寛容などのポジティプな特質が自然に
身についてくる。そして瞑想を続けることでは特質は強化されない。
 最初は短時間でもかまわないが、この訓練を規則正しく続けているうちに、
特質が自分のものとして同化し、隅々にまで浸透してゆき、ついには第二の
天性として習慣化するようになる。平常心を体得するための瞑想を続けるのも
いいだろう。それには、例えば、花、感情、アイデア、仏像などの対象を決め、
それに精神集中するという方法も推薦できる。最初は心がぐらつくかもしれ
ないが、訓練するうちに鎮められるようになるだろう。蝶が花から飛び立って
も、またその花に戻るように、精神集中に心を戻せるようになる。
退屈しつつも義務を果たす生徒になる必要はない。
 瞑想の目的は、弾力的で、安定していて、力強く、明晰で、しかも注意を
怠らない心の状態を維持できるようにすることである。瞑想の訓練とは、
勉強を嫌がって駄々をこねる子供を増長させるようなものでなく、心を放置
して台無しにしないで、変革のための有能な道具として鍛え上げることである。
 瞑想の仕上げの段階に到達したら、思考のべールの後ろ側に常に存在する、
純粋な気づきの状態、具体的には、自分が壮大な宇宙に存在するように、
心を完全に解き放った状態にする仕方で、あるいは、心をよぎる思考の本質を
つぶさに見つめる方法で、意識そのものを抽象的で概念的にではなく、直接に
凝視することができるようになる。瞑想方法は多様だが、どれもが内的変革
プロセスの一環という共通の機能を持っている。瞑想は、単に知性が反映
されるものではない。なぜなら瞑想とは、同一の内省的分析、同化の変革努力、
そして同一の熟考であり、それをたゆまず反復する経験である。 ≫ 
▼ 海外旅行での目的地までの列車や、飛行機内で、ひたすら黙想するが、
 これは、一種の瞑想である。行きの機内と列車内は、日常から非日常へ。
帰りは、非日常から日常への心の切替えと、旅行の総括のための沈思黙考
の場。「聞き、考え、瞑想する」ことは、体験を経験にかえるプロセスになる。
ー偶然だが、以下の内容につながる。〜瞑想とは心が魂と一体化した状態。
・・・・・
4015, 閑話小題
2012年03月23日(金)
   * つれづれに
 変わりばいのない日が続くが、それも良い。 首都圏、特に東京の下町に
住む人たちは、直下型地震で不安だろう。震度7は、観測以来、神戸震災と
中越地震と東北大震災以外に起きたことがない。そのため大都会の直下型の
場合、なすスベがない。引っ越す決断も下せないし、下町の人ほど都会っ子の
軽さも重なって長野、高崎、新潟に住むのは都落ちという惨めさが強い。
 私が東京在住だったら、一年以内の引越しを考える。勤務が東京で仕事上、
難しいなら大宮か熊谷に引越し、そこから通勤する。夜間か土日の直下型地震の
場合は被害を免れるのでリスクが半減する。 家族のリスクが半減する上に、
帰る家が残る。 ところで去年の今頃は、会社の閉鎖を決定、無我無中で整理の
手順に入っていた。同時に東北大震災と、原発事故が進行中で、非常事態の
刺激的な日々。 何ごとも動き始めると、次々とすべき手順が現れ出てくる。 
決断を少し早めると打撃は半分で済むが、少し遅れると二倍になる経験則を
持っていたため、マイナスエネルギーの重圧は4分の一で済んだ。止め時は、
あの三月末しかなかった。 べき時に、べき決断をして本当に良かったが、
奇しくも30周年記念日の前日に会社消滅とは・・・ 
   * ウドンの素
 自宅での昼飯は大方、カレーか冷凍の讃岐ウドンかキシメンかチャーハン。 
冷凍ウドンとキシメンには、私が業務スーパーで買ってくる「ウドンの素」
を使っている。 ところが先日のTVで、このウドンの素が多くの下味に使える

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03月23日(金)
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