ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6193、閑話小題 映画鑑賞 ―ギフテッド 2
これを「YOUは何しに、人間に」に転換した問いには、一般的には、
『働いて金儲けするためやってきた』とは、答えない。その多くは
『面白いことをして、美しい絶景をみて、美味しい料理を食べ、色いろな人と
出会い、可能の限り楽しみたい』と、答えるだろう。それに人生を重ね合わると、
答えは自ずと出てくる。何で難しそうなことを!というが、大部分の人は、
漫然として、それが分からない。それぞれが目先の目的は持っているが、
「私たちは地球に何しに来ているのか?」と訊ねても、分かっていない。
宇宙サイズからみたら、私たちは短期間で地球観光に、そう、輝く『光』を
見るためにやってきた。決して闇を見に来たのではない。世間原理主義者は、
何故か光より、自分を含めた身辺の闇に目がいき、光を見ようとしない。
とはいえ背景の闇も必要条件で、深ければ深いほど、光は輝く。
井戸の蛙、井戸の外の世界を見れないが、満天の星空を見ることができる。
この蛙に、「YOUは何しに地球にきたの?」と問われたら、 (*´д`*)ハァ
「宇宙より、井戸の外の世界をいっぱい見てみたい」と、思うだろう。
そこには、蛇も、鳥もいて危険だらけでも、世界を知る価値は十分ある。
ところで、私は「何しに人間として地球に来たの?」と、問われれば、
〔危険を乗越えて、地球上の大自然と、文化・文明、人間を可能な限り知り、
それに感動(同化)し、空(無)への機中、ああ良かったと思えるために来た〕
が答えになる。 捨身にならなければ、そう簡単に世界は広がらない。捨身に
なれなかった自分が、ここにいる。面白く、悲しい、極上で極悪の世界がある。
人生は、生まれて死ぬまでの綱渡りである。
後記) 偶然だが、以下にちょうど良く続く。この偶然は何?
私たちは、遊ぶためにやってきて、遊び疲れて、帰りの機中から、ちぎれる
ほど手を振って、「さらば」をしたいもの。それには、まだ、遊び足りない?
いや、もう充分か? 忘れてならないのは、遊ぶだけ、学び、働くことだが。
いずれにしても、機中で泣きながら帰っていくのが人生。 (╥_╥); ゥヮ
・・・・・・・
3624, 自己の探究 ー1
2011年02月26日(土)
「 自己の探究 ―自己とつきあうということ 」和田 渡 (著)
ーアマゾンの内容
悩む人にも、悩まない人にも。偉大な思想家たちの思索をたどりながら、
他者や世界と繋がる自己発見への旅。モンテーニュら偉大な思想家たちの
思索を辿りながら、誰もがそこから逃れられない厄介な「自己」とのより
よい関係の構築を模索する。
ーー
哲学史から、世界との関係より、自分自身との関係を重視した思想家たち、
ソクラテス、モンテーニュ、パスカル、アミエルなど、を取り上げている。
「自己」の哲学的意味を知りたい人が、その思想家を見つけるための
「カタログ」でもある。どのページを開いて、4〜5行を読むと自己に
対する意味が自己完結しているように書いてあるのが良い。
≪ 自己への問いは、いわば、われわれに課せられてくる問いなのである。
日常に亀裂がはいり、自己の存在そのものがひとつの問題であることに
気づかされる時が、われわれに訪れるのである。ひとたびこの問題に遭遇
すると、自己は一種の棘となってわれわれを苦しめることにもなる。
----しかし、その歩みを通じて、自己がどのような存在であり、自己として
生きることがいかなることかが少しずつ見えてくるであろう。自己への旅は、
われわれが自己の多様な側面を解きあかしていく思考の経験であり、
自分との対話や反省の試みを介して自己を掘りさげていく経験である。 ≫
≪ 自己探究という冒険には、終わりがない。それというのも、自己は不断に
変化することをやめないからであり、自己を探究する視線にも変化が伴うから。
それゆえ、この冒険は、変化するものをめざす視線と、それ自身が変化する視線
とが交錯するなかでくりひろげられる絶え間ない自問自答の過程である。
そこでは、見えていなかった側面が見えてくる、自分に疑いなく見えていたと
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02月26日(月)
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