ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6166,閑話小題 〜キツネとハリネズミ −3
 過去の考えが沈黙し、未来の考えが未だ起らないこの瞬間こそが、光り輝く
聡明・純粋な意識の存在を気づかせてくれる。その意識は、頭で組み立てた
概念的な構築にへつらうことがない。この純粋意識を実際に体験することで、
仏教がいう心の本質を次第に理解できるようになるのである。≫
▼ 純粋意識で純粋意識を説明しているから、スッと理解できるのか。
 般若心経を忘我の状態で唱えている状態が純粋意識。では、仕事に
没頭の状態は、どうだろう? 少し違うか。 以前、大きな決断をする直前の
眠れない夜の二時半が、純粋意識に近い状態になっていた。その時、さあ、
どうする?と。 それでも、多くの間違いがあったが、自分としては、
考え尽くして決めたことと諦めがつく。思考の果ての、思考ゼロもある。
これも純粋意識とチト違うか。 で、これも偶然、以下につづく。
・・・・・・
4704,「考える」と、「思う」の違い
2014年01月30日(木)
   *「考える」と、「思う」の違い  ー『散文』谷川俊太郎著より
 何気なく書いている文章に、「・・・と考える」と、「・・と思う」がある。
「思う」は、感覚的、無意識的というニュアンスがあり、これを受けて論理を
組み立てるのが「考える」。この読書日記で、同感したり、感激、感動、感謝
した内容を取上げ、自分の考えに論理だてるプロセスが「考える」ことになる。 
  ーその辺りから
《 思うという行為は、考えるという行為に比べて、より感情的であり、
 より不正確である。物思いという言葉にも表われているように、それは時には
余りにも漠然としていて、まるで自分を甘やかしているようにとれることがある。
けれどまたそれ故にこそ、思うことは考えるという行為に比ぺて、いっそう
未分化であり、人間のより多く部分をその中にまきこむ。考えるのが主として
理性の働きであるとすれば、思うのはおそらくまず感ずることにその基礎を
置いている。考えることは時に現実を離れて抽象的な理性の遊びに堕するが、
思うことの堕落はもっと肉体的な自己陶酔に向かう。こういう風に、思うと
考えるとを分けてみても、実際にはこのふたつの心の働きは、つねに亙いに
補いあってひとつである。思ったことを考えることでより精密化し、考えた
ことをもういちど思ってみることで、より全体的にすることを、無意識の
うちに私たちはくり返している。 ・・・ 》 ヽ(゚ロ゚(-_-;)ゝ アッ!
▼ 上記の《 》が、同感、同調した部分になる。 それを受け「▼」部分が、
「思い」「考える」ことになる。◎「考える」は、「言語を用いて」
「意識的に」「論理的・合理的プロセスを踏んで」のに対し [(ーヘー;)え〜と  
◎「思う」は、「言語を用いずに」「半無意識に」「思い浮かぶに任せ
(必ずしも、論理的・合理的とは限らない)」「悔しいと思った。」
「悔しいと考えた。」と、すると、後の方が少し違和感がある?「思う」が
どちらかと言えば受動的、「考える」が能動的な感覚のために、少し違った感覚。
英語では「考える」は「Think」。「思う」は「Feel」に近い。
 何かを考えるキッカケは感謝、感動、感激など、感じ入った場合が多い。
だから一流の芸術作品を多く見たり、大自然の神秘に触れたり、書物を通したり
して一流の人物に接して日々、新面目を見出すことが必要である。
「思う」を受けて「考える」ことは、受動から能動の切替ポイントになる。
積極一貫で人生に立ち向かう中で考えるしかない! /(@゚ペ@)ウーン

・・・・・
4337, 閑話小題 ー「私には友人が一人もいません」
2013年01月30日(水)
  * 「私には友人が一人もいません」
 ある政治ネタを中心にした関西系のバラエティー番組のゲストの一人が
何気なく発した一言が印象的であった。「私には友人が一人もいません。
だから、携帯電話には時おりくる仕事関係以外に電話は入りません!」一瞬、
その場が白けるほどのインパクトがあった。事業創業と独立独歩を人生の
コンセプトにし、また専攻が社会学だったこともあり、あまり人に好かれる

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01月30日(火)
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