ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6027,死の恐怖は観念でしかない
つくられるわけですから、我という概念すらも他と交わらなければつくられ
ません。我、あるいは自分というものは、最初からあるものではないのです。
人間の生においては「我とはなんぞや」というところの我の概念が生まれて
こなければ、何も始まりません。外界、他と交わって、最初に生まれるのが、
我という概念です。他という認識があり、我という認識が生まれる。他と我。
これはペアになっている概念です。
三歳くらいの幼児の脳の中で、外界という他を認識することが起きる、
と考えられています。他を認識したその瞬間に、それを認識している自分と
いうものができます。そういう段階から、絶えず外界を認識する作業を経て、
その瞬時、瞬時につくられているのが、脳の中にできている内部モデルです。
我ができたあとは、まさに他と時々刻々関わることによって、内部モデルを
構築していく作業が、生きるということになります。その瞬間、その瞬間は、
それまでに構築された内部モデルとその瞬間毎に入力される情報を照合させ、
修正したりしながら、内部モデルを変えているわけです。そうやって内部
モデルができ、変容していく過程すべてが、生きるということです。
私は、考えることを仕事としたいと思いそれを続けているようなものですから、
学生時代からずっと考えるということとは何なのか、それを考え続けています。
自分という対象を、外から見て分析すると、これまで構築された内部モデル、
それが私の人生と考えています。私をいいかえると、私の内部モデルが
それで、あなたというものをいいかえると、あなたの内部モデルがそれです。≫
▼「外界がリアルで、それが、内部モデルに整理されたものがバーチャル」は、
分かりやすい! 毎日書いている、この随想日記は、リアルをバーチャルに
かえていることになる。過去の文章を振り返ると、実感として納得する。
リアルは消えるが、バーチャルは映像、言葉としてリアルの一端を残す。
だから、バーチャルを侮ってはいけない。リアルとバーチャルは裏表。
そのバーチャルは、書換え可能ときているから複雑になる。
ー偶然だが、以下の文章に続くー
・・・・・・
4564,変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー1
2013年09月14日(土)
『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』高橋 雅延 (著)
* 豊富な知識、旺盛な好奇心の必要性
‘無意味なものを意味づけるために必要なものは何か。
それは知識だ’が納得出来る。
≪意味づけこそが記憶の秘訣であるということは、並外れた「記憶力」を示す
工夫からもうかがい知ることができる。たとえば、どこかできいたことがある
かもしれないが、円周率を何万桁も覚えているという日本人がいる。円周率は、
小数点以下、無限に続く意味のない数字の羅列だ。この円周率を一〇万桁以上も
暗記しているのが、原口謹さんだ。かつて私は、この原口さんと、五四歳のとき
に円周率四万桁の暗唱記録を打ち立てた友寄英哲さんの記憶能力について調べた
ことがある。その結果、二人の基本的な記憶能力は、同年代の人たちとそれほど
ちがいはなく、特殊な才能は何一つみられないことがわかった。
しかし、その代わり二人とも、日本人にはおなじみの、「語呂合わせ」を使う
技能に長けていた。つまり、何万桁もの円周率も語呂合わせで覚えていたのだ。
語呂合わせは、端的に言えば、数字の羅列のような意味のないものに意味づけ
することだ。原口さんも友寄さんも、けっして若いとは言えない年齢であるにも
かかわらず、並外れた「記憶力」を示すのは、二人が意味づけという記憶の
秘訣を使っているからにほかならないのだ。もちろん、何万桁もの数字の語呂
合わせをつくり、それを完壁に覚えるまで繰り返した努力を忘れてはならない
のだが。では、無意味なものを意味づけるために必要なものは何だろう。
それは知識だ。知識が貧弱だと、深い理解はできない。逆に豊富な知識をもって
いると、まったく理解できないような事柄であっても、自分の知っていること
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09月14日(木)
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