ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5998,「考えるとは、まずは、ひとりになること」
父が子供達に似たような実践的な金銭哲学の教育をしていた。幼児の頃から、
年末にお年玉を子供達全員が貰う。それが楽しみで嬉しいが、正月が明けると、
父が他からも貰った、お年玉袋を全て回収、それぞれの預金通帳に入金する。
そして、それぞれを金庫の中に保管しておく。年に一回だが、その通帳の残高
を見せてもらう。それが十数年すると、それなりの金額になる。
子供の頃から自分の通帳を持たせることと、使わないで預金する生活習慣を
持たせることが父の狙いであった。目先の欲望を抑えて種銭をコツコツ積み
上げる重要さを時間をかけ教えていた。家風は一見派手だが、生活は質実剛健。
地方都市の商家なら、何処も似たようなもの。そして高校の入学時に、
10数万円の預金の通帳を渡されて、売買の手続きをするから何か値上がり
しそうな株を選べという。それから、毎日、日経新聞の経済欄を真剣に見る
ようになってしまった。数ヶ月かけて、ある医薬品メーカーを見つけた。
当時、鼻風邪から慢性鼻炎になっていたが、特効薬が売り出すニュースを見ため。
それを5年ほど持ったが、期待ほどの値上がりはなかったが、それでも数割の
値上になった。 ところが、その種銭が人生を変えることになった。
二十歳の時、軽井沢のアルバイト先の山荘で、学生仲間4人と話していた時
のこと。 その中で外国に行く予定が無いのが私だけ。 他の三人は、さほど
豊かそうで無かったが、それでも行けるのである。要は意志であることを、
その時に知った。当時は、まだ年間20万人しか渡航してない時代。
私も決心をすれば行ける?との思いが出た。その時、考えたのが、あの種銭。
その頃、ある友人に『大学の、あるサークルの海外旅行研究会があって、
一ヶ月の欧州旅行の企画で参加者を募集しているが、一緒に行かないか』と
誘われていたが、まさか自分がと、取り合わなかった。当時で40万、現在なら
300万〜350万。その晩の軽井沢で『そうだ、私には20万円があった!あと25〜
30万、都合をつければ私でも行ける!』と、思い立った。アルバイト期間が
終わって向かったのは、東京の寮ではなく、実家のある長岡である。
そこで列車の中で「頭の固い父に、そのまま頼めば断られる、なら母親に
相談すれば良い」と。で、母に相談すると『私が反対すると必ず逆を言うから、
夕飯時に、その話を切り出しなさい』と、賛同を得て、作戦を実行した。
父親は知ってか知らずか、この共同作戦に乗ってしまった。数日後に気づいた
ようだが、後悔した様子はなかった。その欧州旅行が、人生を変えてしまった。
あの一ヶ月間の経験のカルチャーショックで半年間は、呆然自失状態。
頭が変になる一歩手前。当時は現在ほど情報も手軽に得ることが出来ない。
それも決心して一ヶ月で、予備知識はゼロ。それがわたしには良かった。
見るもの触れるもの全てが新鮮で、驚きの連続。エッフェル塔や、凱旋門、
ローマのコロセウム、スイスアルプス・・ その中で、遊び慣れた今まで
知らなかった人種との接触。何よりも小さな固定観念が粉々になったことが、
タイミングとしてベストだった。
まとまった種銭は、お金を資金に変えるという意味で、それ自身が準備に
なってしまう。問題は用途のTPOSである。「夢を持つことと、長年の準備が、
人生を決める」と、両親からと、学生時代の様々な経験から骨の髄から学んだ
ことである。今回の最悪の事態でも、長年かけた万一に備えていたシェルター?
が、我身を救ってくれた。
・・・・・・
4161, 節目時に何をしていたか ー1
2012年08月17日(金)
ここで人生を5年スパンに区切り、振り返ってみる。ミニ自分史である。
自分の姿が浮き上がってくるようで、面白い。何度も書くが両親と時代に恵まれ
ていたことが見て取れる。歴史的にみて、終戦後40年間ほど豊かだった時期は
ないという。その中で、その豊かさを充分味わった実感は、何ものにも
代え難い財産である。
ー まずは前半から ー
・60年前=6歳、長岡市立阪之上小学校一年生だった。担任は女性の茨城先生。
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08月17日(木)
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