ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5920,閑話小題 〜そろそろ入替りの時節ですか
呼吸は「入息1、出息2の割合で、呼吸と身体の動きが一致するよう行う。
全身の血液の三分の一が脚にあるといわれるが、この還流がうまくいって
いるとは限らない。相対的に血液が脚に滞ると、浮腫みや、逆に脳などの
血液が足りなくなる。そのため膝の屈伸や指の活性化が必要といわれる。
要するに「呼吸をしながら、仰向けになり両脚を曲げ抱え込んで両手で広げる」
B・膝を伸ばして、足の指を活性化する体位:
基本体位=仰向けになり、膝の裏で手を組み、足の力を抜いてお腹で
ゆったり呼吸をする。
1、「軽く一息」して、「深く一息」を入れながら、膝から足先まで
一直線に伸ばした状態で脚を上げていく。 肘も膝裏もできるだけ伸ばす。
2、以下の足指の動作を、順々に行う。
「足指を左右に開く」−>「親指を手前(下)、他の4本の足指を向こう側
(上)へー>足指を握る 最後に、「軽く一息」−>「静かな一息」ー>
「各自の一息」に戻り、息を整える。
▼ 足指も、この体位だけでなく、普段でも広げたり、反らす訓練は身体によい。
毎朝の簡単ヨガを始めて気づいたが、実際に始めると考えが出てくる。週二回
のヨガで、これは初日、これは二日目と分かる。ヨガのポーズは3千〜4千あり、
スポーツジムでは、その中の100種類に絞っているという。同じポーズでも、
その時の体調で感じ方が違う。それにしても、生まれてこの方、これだけ、
足腰を伸ばしたり捻ったりするのは始めて。精神的にも雑念を泡として
分断してくれる作用もある。
・・・・・・
2012年05月31日(木)
4084, 老いの見本帳ーダークサイト −6
「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
* 孤島としての老い
≪ それにしても、独りぼっちになってしまった「おじいさん」の孤独感とは、
どれほど辛いものであったのだろうか。気まずさ、寂しさ、自己嫌悪、その
ようなものに苛まれつつ彼は残りの入生を送っていかねばならなかっただろう。
どうしてそんな目に遭わねばならないのか。 基本的に、世の中は弱り目に
崇り目、弱者はそのことでなお追い詰められ、不幸は不幸を呼び寄せる
ーそのような意地の悪い仕組みになっているといった認識がわたしにはある。
すくなくとも医師として様々な形の不運や不幸を見てくると、今述べたような
感想を抱かずにはいられない。不遇であることは、それを帳消しにするような
出来事が不意に訪れる可能性よりは、なおさら足を引っ張るような「思いも
掛けない無情なエピソード」に絡め取られる危険のほうが遥かに高い。
だからわたしは負けたり失敗したりすることが嫌なのである。たとえ些細な
敗北や過ちであろうと、それが運命に「付け入る隙」を与えることになりそうで
怖いのである(おかげで人生は疲れることこの上ない)。そして老いることもまた、
悪意に満ちた運命が付け入る隙のひとつとなり得るように思われて、意気消沈
してしまうのである。しょぼくれた老人であればそれに相応しい不遇が訪れる
であろうし、無理に若さに執着するような老人にはそれを嘲笑するかのような
不幸が駆け寄ってきそうな気がしてならないのである。 ・・老いを孤島に
なぞらえることは適切なのだろうか。いや、人間は誰もが孤島のような存在
だと主張することもできよう。だがおじいさんとおばあさんの二人暮らしなどを
見ると、あたかも融合してひとつの島であるように映りつつも、潮の干満に
よっていつの間にか二つの別々の島になっていたりするものである。
その微妙な加減が興味深い。いつしか片方の島は水没し、まさに絶海の孤島
となってしまったとき、むしろ老女のほうが淡々としかし粘り強く生きていく
ようである。「ええなあ」とのんびりした口調で羨んでみたり、妄想に生きて
みたり超然としたり、とにかく生き抜く。老女の独り暮らしというものには、
わたしが漠然と思っている以上に精神の働きの多様性が示されているらしい。≫
▼ 老い、弱り目になると、祟り目が嫌でも待ち構えている。
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05月31日(水)
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