ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383474hit]

■5915,『しあわせ仮説』 ー12  〜 「純粋な悪」を、私の中にみる
いや、既にそうか?「長生きはしたいが、歳はとりたくない」という絶対矛盾
が誰の心にもあるのだろう。理想的老人は、孤独でなくてはならないようだ。
社会的にも、経済的にも弱者に追いやられ、孤立せざるをえないのが老人。
≪ 菊蔵は、他人の不幸が嬉しいのではない。まだ自分と無関係にはなり
 きっていないがどんどん遠ざかりつつある「世間」で生じた惨たらしい
出来事が、孤身の自分の気楽さと寄る辺なさとをマゾヒスティックに際立たせて
くれるから、「また、子供が落ちて死んでいないかな」などと思わずには
いられないのである。 そこに孤独な晩年の鬱屈と醍醐味とがある。・・
わたしとしては心の深いところで共感したくなってしまう。わたしはこの章で、
自分の憧れる、あるいは好ましく思う老人たちを紹介してみようとした。
すると、どの老人も孤独な影を携えた人ばかりではないか。 老いに伴って、
心身の能力は衰えていく。もちろん人生経験を踏まえて円熟したり豊かになって
いく要素もある。 が、おしなべて衰えは我々に違和感や困惑を与えてくる。
自分自身がマイナス方向へ変貌していくという実感は、孤独感に通じるだろう。
家族や友人に囲まれていてもなお、ある種の頼りなさや不安、無力感や孤独感
が、多かれ少なかれ付いて回るのではないか。 老人となることは、死に
近づくことでもある。また、馴染み深い人や大切な人がいち早く彼岸へ
旅立ってしまう機会も増えてくるだろう。死とは、おそらく究極の孤独である。
だからこそ恐ろしい。だからこそ祈りが求められる。孤独であっても、淡々と、
あるいは瓢々と、あるいはふてぶてしく生きていく老人たちに興味が向いて
しまう理由には、そのように死への不安が伏在しているからなのかもしれない。
もちろん自身の孤独癖が大きく関与しているからでもあるのだが。≫
▼ 友人や、連れ合いにも先立たれ、誰も見向きもしなくなった頑固一徹の
 老人が長生きの果てに待っている結末か。逆に90歳半ばを超えて元気で、
あと10年は生きると仲間たちと運動している老人も、何か変である。年寄の
愚痴と、悪口、噂話ほど醜いものはないが、それは、孤独を更に際立てる。 
とぼしい行蔵の棚卸も孤独を増すだけ。 人生の終え方は難しい。  
・・・・・・
3713, ジャズについて −8
2011年05月26日(木)
 モダン・ジャズの誕生 ー�    ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
  * ビバップのキーマン、 チャーリー・パーカー
【 四〇年代に出現した、ビバップ・スタイル以後に続く流れを総称して、
 モダン・ジャズという言い方もする。それほど、ビバップ・スタイルの出現
は革命的だったのだ。そのビパップの"スポーグスマン"的役割を担ったのが、
トランペット奏者デイジー・ガレスピー(一九一七〜一九九三年)。
「クレオパトラの夢」で有名なピアニスト、バド・パウエル(一九二四〜
一九六六年)も、のちのジャズメンに多大な影響を与えた
(アルバム『バド・パウエルの芸術』『アメイジング・バド・パウエル』など)。
 だが、最大のキーマンといえば、その飛び抜けた才能を死後になってようやく
正当に評価されたサックス奏者チャーリー・パーカー(一九二〇〜一九五五)
があげられる。 ジャズという音楽において、ペルギー人が発明したとされる
管楽器サックス(サキソフォン)が果たす役割は、他の音楽に対して比較に
ならないほど大きい。バリトン、テナー、アルト、ソプラノと四種類があるが、
いずれもジャズと切り離すことができない大切な楽器である。 このように
ジャズにとって命ともいうべきサックスの演奏家として、あえて代表をあげる
なら、のちに触れるジョン・コルトレーンとカンザス・シティ出身のこの
チャーリー・パーカーをおいてほかはない。サックスを、それこそ自在にはね
回る鳥のごとく縦横無尽に操る早業から、‘バード’名称をミュージシャン仲間
につけられたパーカー。芸術肌のミュージシャンのご多分にもれず、彼は酒と
麻薬に溺れ、34歳の非業の死を遂げるが、ジャズに新し息吹を吹き込んだ

[5]続きを読む

05月26日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る