ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5836,閑話小題 〜エキサイティング・ジム
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。旅行中も「書きだめ」
をしたのを知人に頼んでアップをしていたので、ほぼ休まず書いてきた。
自分でも11年近く四千も連続して書いたと驚いている。次は五千が目標だが、
四千回を契機に、時どき休むことにする。また五千回に到達した時点で半年位は
休むつもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、一応自分で納得した
内容を書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから可能だった。
「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、
クマサンに自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し
知識として残すのが目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける
動機づけにしている。気楽に、面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いた
ため、それが、そのまま伝わっていたはず。それも四千ともなると、自分の脳内
そのものでもある。自分の貯めた文章を毎朝、同月同日分を読む楽しみは格別。
今では、その日書いた分を含めると11年分の同日の自分に出会っている。 
書いたことも、その内容も、ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは不思議で
奇妙な感覚になる。だから倒産とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、
心が洗われる。 文章を起承転結でまとめるのはプロならいざしらず、気力が
無いと無理。 但し、一度、その習慣をつければしめたもの。しかしブログに
字数制限があるため、当日分の書いた分だけ、過去に書いた文章をカットする。
それが、身を切る思いになる。しかし、それが好い加減な文章を書くと数年も
しないうちに、自分の手で削除することになるので、内容の質を落とせなく
なる効用がある。 文は、一度書き、アップすると、あとに戻せない。
何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が何人かいる。 
注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなってしまう。
時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、毎日、
書き連ね、別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。 
また分類ボックスの一番下に、過去の文章の検索が出来るようになっている。 
時々、検索をすると、キーワードの入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、
と入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。これは記憶の検索になる。
 以下の、千、二千、三千も、それぞれ検索で調べたもの。 
・・・・・・・・
2003/12/30
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をして休んだ一回分の日にちを加えると約35〜40が合わない。
調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かが間違いている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」
のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)。
だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、
実際のところ面白いだろう。いま考えてみると、随想日記を書き始めた日を境に
自分が間違いなく変った。一日一日が充実してきた。20〜30人位?の人に
毎日読まれていると思うと、見守られているような感覚になる。作家などの
物書きが必死になって書くのも解るような気がする。死ぬ前に全てを消し去る
のもよいし、また書き残すもよいのだろう。いずれにしても50年以上は残らない
のだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。そうすると生前葬の
遺言みたい、いや墓みたいなものだ。 ところで実感としていうと
一番勉強になり良いのが、自分。
・テーマ探しに46時中頭が1杯    ・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し   ・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。

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03月08日(水)
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