ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383916hit]

■5793,「自分」から自由になる沈黙入門 −2
ほぼ書き出してある。 で、振り返ってみて、この詩を思い出した!
 * 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
   生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
   生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
   生きてゐる事は滑稽な事だ          「滑稽」 高橋新吉
 *「何もないのだ/わかったか/わかるということもないのだ」 高橋新吉
・・・・・
4331, 自己とつきあうということ ー1
2013年01月24日(木)               
 * 自己への思考の旅    
         「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 哲学者のソクラテス、モンテーニュ、パスカルなどを取り上げながら
「自己とつきあうということ」を考える書である。アマゾンの紹介には、
【 悩む人も、悩まない人にも。モンテーニュら偉大な思想家たちの思索を
 たどりながら、他者や世界と繋がる自己発見への旅。そして、誰もがそこから
逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。】とある。
6年前に買って目を通したが、熟読はしてなかった。しかし、節目時に改めて
読んでみると、思わない発見がある。バイアスが薄れ、ゆとりを持って過去を
振り返ると、前だけを見ていた時には気づかなかった自分が見えてくる。
一昨年の節目時には「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を読んでいた。
そこでは、「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など15章の
テーマの人生の真髄を、傷ついた心に語りかけてくれた。そして現在、
今度は古今東西の哲学者の引用で、自己の行蔵に対し語りかけてくれる。 
 ー プロローグの「自己の旅」の、次の言葉が良い!ー
《 終わりなき旅 = そこから自己への旅が始まる。その旅は、いまだ
 知られていない自己をめざす思考の冒険である。はっきりしたルートも
道しるべもなければ、方向指示器もない。目的地がどこにあるか分からないし、
目的地がどこか定かでない。その旅の途上では、われわれひとりひとりが、
手さぐりで一歩一歩進まなければならない。 しかしその歩みを通じて、
自己がどのような存在であり、自己として生きることがいかなることか
少しずつ見えてくるであろう。自己の旅は、われわれが自己の多様な側面を
説き明かしていく思考の経験であり、自分との対話や反省や試みを介して
自己を掘り下げていく経験である。しかし、その経験は自己に収束して閉じて
しまうものではない。それとは逆に、自己への旅は、自己の生を可能にしている
他者や、世界へとつながるものである。自己への旅には、あらかじめ定められた
出発の時があるわけでも、終わりの時があるわけでもない。それはどこに行き
つくか分からない。その旅の途中で、自分が、他者が、世界が、どのように
違って見えてくるのかも分からない。それを身をもって知ること、それこそが
自己への旅の醍醐味であろう。》
▼ 自分の立居位置で、確かに物事は違って見えてくる。特に人の滅多にない
 経験?後なので私の自己の旅路は複雑である。事業を目指すと決心してからの
45年間の自分の行蔵を省みるだけで、自分を身を持って知ることになる。
非力な、無知な、しかし理想だけは高い自分がいる。その時々に全力を出して
いたので、その時々の自分に後悔は一切無い。出来ない人ほど、辛辣に、
実践するものを非難する。同じ後悔なら、実践者の方が良いことを一番
知っているためだ。この経験で実感したことは、「人生はハッピーエンドより、
後悔の無いアンハッピーエンドの方が良いのでは?」ということ。 
後悔の無いアンハッピーなどあるのかどうかの疑問もあるが、実際に私の
経験が、そうである。実際にアンハッピーではない、といえば、その通り。
  要は、これも自分との付き合い方。どっちにしても大方はアンハッピー
の悶絶の死が待っている。 この内なる旅、面白くなる。
・・・・・・
3956, 他人を責める「新型うつ」について ー2
2012年01月24日(火)
 数ヶ月前に、閑話小題で「(他人の)せい病」について書いたが、その時は、

[5]続きを読む

01月24日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る