ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5707,閑話小題ー 今週のシネマ 〜『インフェルノ』
しやがって、でも、お前さん、友達を売らなかったてぇのは、偉い。
品行の悪いのは直るけど、品性の悪いのは直らなぇっていうからな。
覚えてけ!」「品行」という言葉の意味は、大人が使っていたので何となく
分かったが、「品性」という言葉の意味は暫くわからなかった。ただ、
その中で、親父が友達を売らなかったことを褒めてくれた雰囲気は伝わった。
自分は成人映画を撮り続けて250本になる。その上に、深夜番組で風俗
レポーターを21年もやったが、一度として歌舞伎町で浮遊したことはない。
それもこれも、親父の、この江戸弁がきいている。 ≫ 
▼ 事業を40年近く携わってきて最後は、この結果に終わった。
 色いろあったが、法律はスピード違反なら10キロオーバーまで。
綺麗ごとだけでは済まされないのが事業だが、その辺のことは守ってきた。
何事も契約は遵守。心にとってやましいことは、やらない信念は持ってきた。
この倒産劇で多く非難をされたと思うが、自分では結果に対し納得している
ので冷静でいられた。確かに品行は良いとはいえないが、品性が悪いとは
思ったことはない。いや、酒癖が悪いから、第三者からみたら最低の品性か。
「国家の品格」、「女性の品格」とかいう類の本では、品性の部分では、ほぼ
カバーをしていた。そこでは自己確立が出来ているかどうかが、問われている。 
人を悪し様に言っている人たち、陰口しか言えない人たちの、劣性などが羅列
してある。もっとも立場変われば、見方が全く違う。誰も自分にはあると
思っているが、実はないのが品性。大たい2ランク上の自己評価をするから、
お笑い。自嘲?それもこれも比較の問題になる・・今さら品性と言われても!
  ・・・・・・・・
3505, フューチャリスト宣言 ー3
2010年10月30日(土)
  「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著)
  * 楽しくてしょうがないというやつしか勝てない
  ー まずは、茂木の日米の教育の基本的考え方の違いから ー
 茂木:日本の教育では基本的に「範囲」があって、『正しい範囲』を
押さえた人が最終的に大学入試に受かる。ところがアメリカの高等教育は違う。
・・アメリカの教育は最初から偶有性(何が起こるか分からない)の海の中に
生徒たちを放り込むしかない。とにか「自分の好きなことを勝手にやりなさい」
と。しかし個々人が好きな方向にとんがるとは言っても、やはり何らかの基準が
ないと困るので、ナショナル.ミニマムとしてSAT(大学進学適性試験)がある。
基本的に放し飼いなので、最低限のベーシックな問題しか出さない。
日本の大学入試みたいに、囲い込まれた世界で人工的な受験技術を磨く必要は
まったくなくて、それぞれが勝手な方向に突き進んでいるので、共通項としては
ミニマムにならざるをえない。ともかく、僕は公式的な正しい範囲なんて本来
ありえないと思っています。だから、日本の教育の本質は「談合」であると思う。
・・(略)つまりアメリカでは、とんがらせる方向というのは人によって異なる。
たとえば人によって、それこそ高校の時から量子力学まで進めるかもしれないし、
歴史を深く掘り下げたいという人もいるかもしれない。それに対し、日本は、
ここまでの範囲しか勉強をしてはダメといって人工的に競争をさせようとする。 
どちらが良いかは、アメリカが良い。・(略)それでも「とんがっていいんだよ」
ということが、最近では感覚として受け容れられてきた気がしてきた。
▼ アメリカの教育システムがベストという訳ではないが、私がミッション系
 の大学に入って感じたことは、小学校、中学校、高校から一貫教育できた
連中の自由闊達さに、まず驚かされた。他の都会育ちもいるが、地方の連中が、
あてがわれた受験勉強(大学進学適正試験)に多くのエネルギーを奪われている
うちに、彼らはジャズバンドに、ゴルフに、服飾に、遊びに、自由の空気を
満喫していたのである。現在考えてみて、その差があまりに大きかった。
当時は、それほど感じなかったが。それで「とんがるように生きてきた」が、

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10月30日(日)
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