ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5665,シネマ評 『ウフィツィ美術館』 〜B
「使った」である。本人が言うから間違いない! ということは、著者は浅い?
ボロボロになって涙した方が、その数倍増やしニヤニヤしているより味は濃い。
「大恋愛の成就より、失恋をした方が遥かに良い」ことを考えれば解るだろう。
『宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金の全て使う!』 良いでないか。
・・・・・・
4935,コトの本質 ー5
2014年09月18日(木)
                 『コトの本質』 松井孝典著
  * 世間とは、リアルの社会を内部モデル化した様相            
これまでの『世間』の解釈で一番、納得できた言葉が、
「社会=リアル、世間=社会を内部モデル化したバーチャル」である。
社会との関わりあいで、世間という内部モデルが、バーチャルにつくり
上げられる。たかがバーチャル、されどバーチャル。リアルとは、
ほど遠いが気にかかる虚構世界である。  ーその辺りから
≪ 社会という言葉と、世間という言葉があります。我々が人としてその集団
 の中で生きていくうえの、その集団のあるがままの外界を、たとえば社会と
呼ぶとします。社会は現に存在する外界です。社会と世間は同列ではありません。
私にとって、世間とは、脳の中につくられる社会を投影した内部モデルです。
世間というのは、したがってリアルなものではなく、バーチャルなものです。
世間をどのように見ているかは、私の内部モデルとして、社会をどう投影して
考えているかということに関わってます。世間というものは、私の言葉で
いえば人間圏そのものともいえます。それは概念化された世界です。
人の営みの、しきたり化されているようなところから、価値観から何から、
全部ひっくるめての世間でしょう。だから、あるがままのリアルな社会とは、
少し違います。人間圏のリアルの側面としての社会については、絶えず
観察をして、世間という私の内部モデルを更新してます。・・
社会と交わるたびに、人間圏の諸々の情報が膨らんでいきます。すなわち、
内部モデルの細部が、どんどんできてくるのです。社会と関わるたびに、
世間というモデルが作り変えられるのです。 ≫
▼ 日本人、とりわけ地方の地域社会は、世間という長年積み重ねられた
 地域偏見が一種の宗教のように、それぞれを縛り付けている。 そして、
それがバーチャルであることさえ気づかず人生を終える。だからライフワーク
を持っていないと、自分を見失ってしまう。バーチャルの世間に埋没すると、
ライフワークの価値が見えなくなる。だから、城下町は、文化度が高い人と、
低俗の人との二極分化が明確になってしまう。一般的に、低俗の人を世間と
いうが、誰もが、どこかに兼備えているから始末が悪い。それが年をとるに
つれ老醜として露出する。老いることは、恐しい!
さらに、老いた群れは、醜く恐しい!

09月18日(日)
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