ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5655,『エゴの力』 ① 〜浪費こそが最大の預金
記号化されない限り呪いとして機能しない。忘れられやすいことですが、呪いが
機能するのは、それが記号的に媒介された抽象物だからです。具体的、個別的、
一回的な呪いというようなものは存在しません。あらゆる呪いは、抽象的で、
一般的で、反復的です。それが記号的ということです。
なまの現実が記号化されて、「情報」になるプロセスを「情報化」と呼びます。
情報とは「なまもの」が加工され、分類され、ラベリングされ、パッケージ
されたもののことです。「高度情報化社会」とは情報だけが行き交い、
「なまもの」に触る機会が失われた社会のことです。生きた動物が殺され、
皮を剥がれ、血を抜かれれ、骨が切り離されて、細切れになってパッケージ
されるという工程については誰も考えず、清潔な商品だけが売り買いされている。
医療でも過情報化の問題は深刻なもの。当今の医師たちは、なまものとしての
身体ではなく、「記号としての身体」を診療している。『医療崩壊』の著者
である小松秀樹さんが指摘されていましたが、今の診療室では、机上のパソコン
のディスプレィに患者のカルテや検査数値が表示されます。患者が診察室に
入ってくると、医師は患者を診るより先に、まずディスプレイに表示された
さまざまの数値を見る。うっかりすると診療時間のうち、患者の顔を見ている
時間よりもディスプレイを見ている時間の方が長いのです。 ≫
▼ TVのワイドショーは情報を提供するところ、情報化は「なまもの」とは
 違うため、それを扱う解説者は、記号としての言葉にして発信するするため、
呪詛的な言葉になっていく。それを受け止める視聴者は、いつの間に、呪いと
して、なまものを呪ってしまう。これが端的に出のが政治であり、政治家は手軽
な呪いの対象になる。だから、島国日本の首相は、一年しかもたないのは、
何ら不思議ではない。そして、その行き先は? 
 ・・・・・・
3818, 哲学人 ー�
2011年09月08日(木)                     
 * 精神と肉体ー 二元論  ー「哲学人」ブライアン・マギー著より 
 ーまずは二元論についてのデカルトの誤りを、ライルが指摘している部分ー
【 ライルは二元論について『心の概念』で、私たちの誤用に的を絞って
 書いている。ライルの攻撃対象はデカルトである。・・ 二元論の生みの親
をデカルトと特定したが、実際には二元論、もしくはそれに似たものは、原始
時代から人間についての通説となっていた。常にと言っていいほど、人は自分を、
肉体と、肉体に宿る非肉体的な要素から出来ているとみなしてきた。そして常に
時代によって霊、魂、心と様々な呼ばれ方をしてきた、この非肉体的要素を、
ある程度独立した存在として、また、そうなる可能性があると見てきたと言って
いい。私がかつて、この事実を挙げて異議を申し立てると、ライルはこう答えた。
「この間違いを最初に犯したのがデカルトだと思っている人はいないでしょう。
要はデカルトがこの考え方をとても明確に打ち出したので、デカルト時代以降、
これが教義もしくは定説なったということです。シェイクスピアも聖書も言って
いませんが、デカルトは実際にこう言いました。『私の心はひとつの実体であり、
私の身体はそれとは別の実体である』と、それが事実であるかのような言い方
なら、それまでもされたことはありました。が、デカルトは確かに事実である
と言ったのです」 実を言うと私はそうは思わないのだが、それはさておき、
精神という実体などないのだから二元論は誤りというのがライルの主旨。
  その著書で述べられている詳細な分析をもとに、ライルはこう書ている。 
≪ われわれ人間が行なっているのは、自分の行動と経験のある部分を精神的な
 ものとして分類し、その他の部分とは異なる、主体に帰属させること、そして
その主体を精神として物象化することである。精神に関連する概念の使用法を
入念に調査すれば、そのようなことをする正当な理由はないということがわかり、

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09月08日(木)
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