ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5652,閑話小題 〜シネマ、『後妻業の女』が面白い! 〜②
▼「休息は死後にすればよい」というが「激しく生きた後の死こそ人生の目的」
と言いたいのか? 先日、新しいCDを出すと、ツアーで同行した
ミュージシャンから販促を兼ねた手紙がきた。西アフリカのバスツアーで
ひたすら海岸線を南下する日程だったが、そこで「この旅行は、私にとって仕事。
異国のツアーが私に創造を喚起する。税務署は、これを経費と認めてくれない」
と言っていた。芸術家にとって休んでいる時が、創造状態にあり、それをカタチ
に移行する状態が、むしろ休んでいる、遊んでいる状態というのは、納得できる。
・・・・・・・
4180, 復讐するは我にあり
2012年09月05日(水)
『復讐するは我にあり』は、キリスト教の言葉で、‘我’というのが神様
(イエス)のこと。復讐はまた新たな復讐を呼び”憎悪の連鎖”が生まれてしまう、
それを断ち切るために復讐は神に預けて神の裁きにまかせると言う意味。
この言葉を知らしめたのは、第74回直木賞を受賞した佐木隆三の小説で、
5人を殺害した西口彰事件を題材にした作品【復讐するは我にあり】。
1979年に映画化したストーリーとは、≪ 昭和38年。当時の日本はたった
一人の男、榎津巌に恐怖していた。 敬虔なクリスチャンでありながら
「俺は千一屋だ。千に一つしか本当のことは言わない」と豪語する詐欺師
にして、女性や老人を含む5人の人間を殺した連続殺人犯。延べ12万人に及ぶ
警察の捜査網をかいくぐり、78日間逃亡したが、昭和39年に熊本で逮捕され、
43歳で処刑された。≫ である。
この「復讐は神に預けて神の裁きにまかせること」の意味を知って以来、
怒り心頭になると、この言葉を呪文のように唱え、気持ちを収めてきた。
逆に、私の逆鱗で多くの人の心を傷をつけてきたが、それ故に何倍も返り矢で
傷ついてきた。その時も、この言葉の意味を痛いほど実感した。年齢を重ねる
につれ、この言葉の重みを感じている。 要は因果応報で、報いは一番、
当人が受けているから、あえて怒りの感情に支配されることもない。
怒りの感情は、相手を毒する以上に自分を害する。復讐となれば更に毒が
自分に向かう。とはいえ、家族が殺されたり、致命的な裏切りの怒りは
癒しのしようがない。この言葉を唱えるしかないことになる。逆に祝福を
積み続けた人に神は幸運を与える。「積善の家に福来る」である。
しかし、この言葉こそ、ニーチェは弱者の怨念の原因となるという。
領土を奪われた国民が『復讐するは我にあり』と信じ、他力に頼ろうとしたら、
国は滅びる。人を恨めば穴二つ、という格言があるが、復讐は長期的潮漬け
にするしかない。「江戸の仇を長崎で討つ」ということ。
グローバル化は弱肉強食の世界になっていく。怨念が世界に満ちることになる。
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3815, 哲学人 ー�
2011年09月05日(月)
ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
* ー経験の裏側には、常識ではまったく感知できない真理と現実が数多くあるー
人生の比較的前半で、経験、そして現象の裏側に一般では感知できない真理と
現実があることを、垣間見てきたつもり。私たちは表側の一部だけの事象を見て
判断している。知りえる範囲でしか見えない。旧約聖書の世界の創世の物語は
7千~8千年前。当時は、そこまでしか想像が出来なかったのである。
それも我々が住む地球が球形で、宇宙に無限に近い星があることも分るはずない。
現在の我々は、現象の中にある真実を知ろうともしないで日常を流れている。
その範囲のイメージ内でしか生きるしかないのである。
ー以下の部分が、その辺のことを明快に表現している。
【 現代科学によって明らかにされつつあるように、日常の世界における、
そのときどきの経験の裏側には、常識ではまったく感知できない真理と現実が
数多くある。それはしばしば人を愕然とさせるうえに、直観に反したものである
ことが少なくなく、真実であるとわかったところで、納得できない場合もある。
ー例を挙げると、
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09月05日(月)
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